おいしい劇場
Scene 8.

織田信長 敵は高血圧症にあり
●お気に召さなければ切腹いたします
 信長が三好家を滅ぼしたとき、捕らえた者の中に坪内という料理の達人がいました。
「このものを厨房に雇いましょう」との進言に、信長は、「料理をさせよ。その塩梅で決める」。
 箸をつけた信長は、「水くさくて食えぬ。殺せ」と怒ります。
「もう一度試させ給え。お気に召さなければ切腹いたします」と坪内は懇願し、翌朝を迎えます。
 戦国時代の武将の物語を綴った湯浅常山の「常山紀談」の一節ですが、結果はどうなったでしょうか。その前に、

●塩梅が料理を決める
 信長は、14歳で初陣してから休む間もなく戦いの明け暮れ。
 わずか2千の兵で4万5千の今川勢を破った桶狭間の戦い、数千人を殺害した比叡山の焼き討ちなど、歴史に残る戦いの連続で心の安まることは一刻もなかったと思われます。
 ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは膨大な「日本史」を残していますが、その中で「信長は、華奢な体躯で、声は大きく、睡眠時間は短く、非常に性急で、好戦的で、激昂する」と書いています。

 さて翌朝、坪内の料理を食べた信長は味のよさに悦び、一転して職を与えました。
 坪内は、「昨日の塩梅は京風の三好家のうす味で、今朝の風味は野卑な田舎風だから気に入られたのだろう」と言ったと記されています。

●もし栄養士がいたら
 ある酒宴の席で、信長は明智光秀に一気飲みを強要し、光秀が断ると激昂し、脇差しを抜いて「白刃を呑むか酒か」と迫ったと言います。またあるときは髪を掴みねじ伏せて恥辱を与えたこともあったようです。光秀を謀反に走らせた原因の1つかも知れません。
 医師で作家の篠田達郎さんは、著書の中で、肖像画や数々の文献が示す特徴から、信長は本態性高血圧症だったであろう、と診断されています。
 もし、坪内が栄養士として、塩分控えめメニューを作ることを許されていたら、本能寺の変は起こらずに、歴史は変わっていたかも知れませんね。

殿、葱油餅(イエピン)でお許しを!
中国の葱油餅(イエピン)をつくりました。ニップンの「こんな小麦粉ほしかった」の中に高血圧などの予防に役立つと考えられているNIPPNのアマニブレンド油とネギの一種のあさつきをたっぷり使って焼きました。


close
mail ishiguro kenji