第263回 【中国・朝鮮半島と日本】 関谷興人さんの "悼み"
3月10日号

  韓国は好きだ。行きたいけど、このところどうもね、行ってイヤな思いをしそうだから、と言う人が多い。筆者もその一人だ。
 まず従軍慰安婦像だ。ソウルでもプサンでも行けば目にすることになる。考えただけでいたたまれない。さらに最近は強制徴用工の像も建てられているらしい。関連日本企業の韓国内資産の差し押さえも始まった。今後、北朝鮮が加われば、像の数は倍になり、拉致被害者返せどころではなくなってしまうだろう。いったい何でこうなったの?
 3月1日、韓国は「三一節」で国民祝日だ。100年前のこの日、民族代表33人が、現ソウルの仁寺洞・泰和館で独立宣言を読み上げた。1910年に朝鮮を併合・統治した日本からの独立である。 「我らはここにわが朝鮮が独立国であり朝鮮人が自由民であることを宣言する。……」。
 学生を中心に、デモが全半島に広がり、同時に弾圧が始まった。死者7500名、焼かれた家屋715、逮捕者4万6千余とも伝えられる。日本統治は、1945年の日本の敗戦まで35年間つづいた。
 「1937年に日中全面戦争に突入してから、労働力や軍要員の不足を補うために、国策として朝鮮人・中国人を日本内地、樺太、南方の各地に投入したが、狩り集め方が強制的であった。38年4月には国家総動員法が、翌年7月には国民徴用令が公布された。39年には徴用計画110万のうち8万5千が朝鮮人に割り当てられ、各事業主にその狩り出しを認可し、42年からは国家自身の手になる〈官斡旋〉に移行した。」(平凡社・世界大百科事典第2版による)
 〈狩り出し〉とは? 動物を捕獲するように朝鮮人を狩出したのか? 資料を見ると、どうもそのようである。徴用した朝鮮人は、炭鉱など過酷な現場に送られた。
 中国ではもっとひどかったようだ。71年、朝日新聞が連載「中国の旅」で「万人坑」の存在を記事にした。〈坑〉は生き埋めの窪地のことで、満州を中心に、中国各地に60か所あったという。炭鉱などで、栄養失調や怪我、病気などで使い物にならなくなった労働者を〈坑〉にしたのである。
 取材した本多勝一氏は、のちに「私はまだナチがやったアウシュビッツの殺人工場の現場を見たことはない。だからこの万人坑のような恐ろしい光景は生涯で初めてだった」と書いている。
 万人坑には反論や異説があり、炭鉱で、トンあたりの労災死が中国側では25.8人、日本側の調査では0.7人と極端だ。おそらく日本側の数字が正しいだろう。だとしても、石炭約1.5トンで一人が死ぬのはただ事では無いではないか。
 この反論には人の死を憂う優しさが一片もない。そして加害者は日本だという事実は変わらない。  2017年10月、毎日新聞朝刊は、「創作を通じて加害の歴史を伝える陶芸家」として関谷興人さんのことを伝えた。「…栃木県益子町で私設の陶板彫刻美術館(朝露館)を開いて25年。(以下要約)…アジアの戦争被害者をはじめ原爆の広島、マレーシア、チェリノブイリ、アウシュビッツそして万人抗・強制連行と、無念に死んでいった人たちをひたすら悼む作品を作り続けた。」
 関谷さんは、早稲田大学を出て教員になったが、(このあとは第1作品集『悼』に記された「製作メモ」から引用する。)  「55年からほぼ10年間は 日教組の端につながって支部役員などをしながら 組合活動で過ごした。そのあと教員を離れ、一介の町人洗濯屋として、左翼系の運動に約10年かかわった。その間 慣れぬ商売の困難さも加わって かなり疲れた。」
 (関谷さんは控えめだが、じつは救援活動に忙殺されていたようだ。官憲に追われた活動家を匿い、解雇された組合員を洗濯工場で雇って生活を支援した。)
 「母の趣味の陶芸を手伝っていることもあって、瀬戸物つくりの職人〈せとや〉にでもなって 何にもも考えずに暮らしたいと 益子の藤夫竃にお世話になった。(中略)しかし 座禅を組むように「無」になって茶碗を作っていることはできなかった。土を揉んでいると、それはビールのコップをじっと見つめている 座布団の端に視線を落としたままの友だったり 病院へかつぎ込んだ 警棒で血まみれになった少女になったりした。ロクロを引き上げると その見込みには たくさんの声がかたまっていた。水俣の患者さん ヒロシマ・ナガサキの被爆者の あるいは在日の方々の。壺を焼き上げると 空襲で 原爆で さらには 中国・東南アジアのどこかで日本軍によって焼き殺された人々の 底のほうからは 沖縄戦でのがまの悲鳴や 海の底に沈んだ若い特攻の何かが立ちのぼってくる。(中略)
 もう 土の塊は そのままで迫ってくる。それは 剥いでも剥いでも剥ぎきれない顔顔だ。  僕には それを造形している暇はもうなかった.その衝撃を受けた言葉を 土に彫りつけるしかない。にじんでくる目をこすりながら、夢中になって。」
 関谷さんは、「こうして悼むしか 今に対する対し方はない。それは自分自身を悼むことでもある。」と書く。

 ――初めて朝露館を訪ねたときのことを思い出す。
 溢れる作品群のパワーに圧倒されて、どう受け止めて良いかわからなかった。これでもか、これでもかと迫られて逃げようがなかった。
 朝露館の下の路から広がる田んぼは、羽毛のような灰色がかった緑の萌が、慎ましい、優しい逆光を浴びていた。
 益子の春酔いは、まだ始まったばかりだった。

 韓国では、日本に併合されたことを"國恥"と表現する。来年、2020年は國恥110年に当たる。
 

【関谷興仁陶芸彫刻美術館(朝露館)】栃木県芳賀郡益子町益4117-3
tel:0285-72-3899(開館時のみ) 開館時期・春3〜6月、秋9月〜11月(いずれも金・土・日、12時〜16時)。
但し上記以外にもtel&fax:03-3694-4369へ希望を連絡すれば見学可能。
入館料500円、高校・大学生200円、中学生以下無料

写真上 万人坑―強制連行者名簿。「外務省の名簿で調べ、4万人の名を彫った。だが不明者は名前すら残せないままだ」(第3作品集「悼V」より)
写真下 益子工房の関谷興仁さん。

オリンパスOM-D E-M1 MaekU M.zuiko Digital 12-100 mm F4


close
mail ishiguro kenji