第257回 【 輝く青い海は何処へ行った 沖縄 】
9月10日号
  写真を勉強する会の真眼塾の夏期合宿は、沖縄で、8月10日午後、現地ホテルに集合と決まっていた。それぞれの仕事や家庭の都合にあわせて出発も滞在も自由とし、10日を挟む前後3日間を撮影合宿に当てるという企画だった。
台風13号が関東地方に接近していて、テレビが続々欠航を伝えていた。塾長をつとめている筆者は、9日昼過ぎ発の便を予約していた。飛行機は飛ぶのか飛ばないのか、欠航の情報がないことを頼りに羽田へ向かった。
すでに前日、会員の一人があきらめてキャンセルしていた。 塾の幹事のOくんは、成田発の便が遅れて到着が夜になった。自宅を出て12時間の旅となった。筆者のスカイマーク機は定刻に飛んだ。
 まさに嵐の合宿と乱れたが、台風よりも衝撃的だったのは、8日の翁長知事の急逝だった。政治的なことはわからないが、〈沖縄〉の空気はきっと変わるはずだ、目に見えない何かが、もう変わっているかも知れない、と思われた。
 参加者がそろったのは10日の夜だった。追いかけるように台風14号が沖縄へ近づいていた。
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 翌11日、天候は朝から不安定で、時折り雨交じりの風が強く吹きつける中、僕らは辺野古へ向かった。
「空も海も灰色で、沖縄じゃない」と、案内役のMさんが言う。彼女は真眼塾2期の会員で、いまは沖縄在住のウチナンチュウだ。
 辺野古の街から見下ろす埋め立て予定の海は、灰色にかすみ、反対派の拠点だったコンクリートの小屋のタテカンも、フェンスの金網を覆っていた無数の折り鶴なども跡形もなく取り払われて、むしろ静かな漁村の風景に見えた。台風を避けて漁船は陸に揚げられている。
「海が青くない。空も青くない」と、Mさんはまた繰り返した。その声は凜としたアルトで、ヤマトンチュウの僕たちに青く輝く海と空を見せたい、そして何かを伝えたい! と、いちずな響きに満ちていた。
 ぼくの中に、あるフレーズの断片が反響した。
「……私の生きるこの島は/なんと美しい島だろう/青く輝く海/岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波……」
 今年6月23日、沖縄慰霊の日に読まれた、平和の詩『生きる』の詩片だ。「大切な今よ/かけがえのない今よ/私の生きる、今よ」。詩は73年前の「私の愛する島が、死の島と化したあの日/……血に染まった海」をえがき、「この青に囲まれた美しい故郷」、「摩文仁の岡の風に吹かれ、私の命が鳴っている」とつづくのだ。(浦添市立港川中学校3年、14歳の相良倫子さんの詩より)
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 おなじころ、奥武山公園陸上競技場では、「辺野古に新基地を造らせないオール沖縄会議」主催の県民大会が開かれていた。翁長知事が辺野古の埋め立て承認の撤回を表明して亡くなった、その直後の大会だった。
 この日、キャンプ・シュワブのまわりは騒がしかったが、普天間の基地は、オスプレイの機影もなく閑散としていた。台風のせいかも知れない。翁長さんの死のせいかもしれない。

写真 辺野古の街の「イタリアンレストラン」。一見、美容室かと思われる外観だが、中には座敷席もある。ワンプレートのランチは1000円〜1600円。メニューにはドルの表示もあり、レートは1ドル100円だった。

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