第256回 【 鎮魂と再生――ワルシャワから広島・長崎まで 】
8月10日号
  東京オリンピック・パラリンピックの開閉会式のチーフ・エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクターに就任した野村萬斎さんは、記者会見で、式典のコンセプトについて「"鎮魂と再生"の精神を生かす」と語った。
 「鎮魂」とは、死者の魂を慰める「慰霊」ではなく、生きるわれわれ自身が自分の魂を鎮めることであろう。「再生」は、文字どうり再び生きること、「蘇る」ことだ。
 そして、東北大地震・原発事故からの復興五輪を意識しながら、「"鎮魂と再生"は、能や狂言という日本の伝統芸能の重要な部分である」と付け加えたのだった。
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 ポーランド・ワルシャワでは、毎年8月1日午後5時、サイレンが鳴り渡り、市民はみなその場で立ち止まって黙祷する。1分間、市内の機能はほぼ停止するという。1944年の〈ワルシャワ蜂起〉で、22万人の犠牲者が出た日である。
 第2次世界大戦のはじまりは、1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻し、3日にイギリス・フランスが宣戦布告をした時とされる。この、ドイツ軍の千機爆撃に始まる徹底的な破壊を、ソ連(現ロシア)は傍観していた。70万の住民が追放され、ポーランドはドイツとソ連に分割、國が消滅した。(1945年5月、ドイツ降伏により復活した。)
 日本は1937年のシナ事変以来、事実上の戦争状態にあったが、1941年12月8日、真珠湾を攻撃しアメリカ、イギリス、オランダに宣戦布告をした。
 
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 8月6日午前8時15分17秒、広島ではサイレンが鳴り響き、1分間の黙祷を捧げる。長崎では8月9日午前11時2分、沈黙の中に頭を垂れる。そして、日本全国では8月15日正午、すべての人が立ち止まり、1分間、目を閉じて、それぞれの思いを自分の胸の奥へ語りかける……。
 ワルシャワで始まった第2次世界大戦は、広島・長崎で終った。
 230万とも言われる戦死者への弔いの祈りを捧げる人もいれば、いま、心の中を占めている人との無言の会話を交わす人や、過酷な仕事と連日の猛暑を呪うひと、ささやかな幸福を願い、久々に自分を見つめ直す人もいるに違いない。……はずだが、黙祷する人は日本じゅうで5パーセントぐらいという調査もある。
 韓国では、6月6日、戦没者を追悼する「顕忠日」にサイレンと共に黙祷するのが慣例となっているが、朴槿恵前大統領が黙祷の対象を"殉国烈士と護国英霊"のみに制限した。その後、現政権で「黙祷対象者を追加することができる」ようになった。
 地震、台風、洪水、さらに猛暑とつづく自然災害。それを上回る災禍をもたらすのは戦争だ、と知らない人はいない。
 8月は"黙祷"の月だ。
写真上 原爆投下20年後(1965年)の広島。
銀座Akio Nagasawa Galleryで [HIROSHIMA 1965] 開催中。9月30日まで。(月火祝・8月11日〜21日休廊)

写真下 ワルシャワ・旧市街にて。
第2次世界大戦中に、徹底的に破壊されたが、戦後"壁のひびまでも"といわれるほど忠実に復元された。1980年、「ワルシャワ歴史地区」として世界遺産に登録された。

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