第255回 【 理想の身体 サムライたちの憂うつ ブルー
7月10日号
  上野・国立西洋美術館のミケランジェロ―理想の身体 展で、この大きな大理石の彫像を見たとき、サッカーのゴール前の乱闘に似ているな、といささか低次元の連想をしたのだった。筋骨隆々の大男が、絡む相手選手を振り払いながら、ヘディングを争うシーンに見えたのだ。が、絡みついているのは人の腕ほどもある蛇ではないか。尋常ではない。
 カタログの解説を見る。この男性はトロイアの神官ラオコーンで、両脇の男は2人の息子だという。
 トロイアの浜辺にギリシャ人が置き去りにした大きな木馬を、市民たちは戦利品とみて城内へ入れようとした。それを押しとどめて、ラオコーンは木馬に向かって矢を射た。すると海から2匹の蛇が現れ、2人の息子に襲いかかり、助けようとしたラオコーンとともに絞め殺してしまった。市民は木馬を城内へ入れた。このあとは誰でも知っているように、ギリシャ兵が木馬の腹から出てきて、勝利に酔う市民や兵を襲い、トロイアは滅亡するのだ。
 オリンピックの起源には諸説あるが、アキレウスが、トロイア戦争を戦った部下の死を悼むため競技会を行ったことがはじまりとの説が最も有力のようだ。
 古代オリンピックは、ギリシア人の男だけで行われ、罪を犯した者は参加が禁止された。女性は観客としても入場できなかった。
 競技は全裸で行われた。前5世紀半ばの作品といわれる、有名な円盤投げの全裸の青年像に見るように、競技を競うと同時に、男性の肉体の完璧な美しさを競う大会だったといえるだろう。
 歴史はくだって、イタリア・ルネサンスが華やかな1500年代、ダ・ヴィンチと競い合うミケランジェロ。システィナ礼拝堂の天井画やフィレンツェのメディチ家礼拝堂などは知らない人はいないほどだが、古代ギリシア以来の最大の彫刻家といわれる彼の作品が2点、上野で見ることができる。「ダヴィデ=アポロ」は、背に回した腕が欠損していて、持っていたのは弓矢か竪琴か、専門家にもわからず、剛健なダヴィデにも優美なアポロにも見えて、どちらか決められないそうだ。もう1点の「若き洗礼者ヨハネ」も、一見、少年か、少女のようでもある。
 これが、ルネサンス時代、ミケランジェロの〈理想の身体〉なのか、ぜひ会場でご覧ください。
 サッカー・ワールドカップの季節は終わった。ルカク(ベルギー)、エムバペ(フランス)など新しいスターが誕生した。彼らの肉体は?頑強であることはわかるが、同時に優美な〈理想の身体〉だったか?
 むしろ顔を覆って泣くネイマール(ブラジル)や、伏せたまま芝生を叩きつづける昌子が印象に残るのだ。

写真上から1 「ラオコーン」ヴィンチェンツォ・デ・ロッシ作 大理石191 x 145 x 68cm 1584年ごろ(オリジナルは前1世紀後半の作と推測される。1506年にローマで発見された。)
写真2 「円盤投げ」オリジナルは紀元前5世紀半ばごろ(同展カタログから)
写真3 「理想的な若者の肖像(聖アンサヌス)」アンドレア・デッラ・ロッビア作 1500年ごろ 
写真4 「竪琴を弾くアポロン」2世紀初頭 一見、女性にも見える。

【ミケランジェロ―理想の身体 展】上野・国立西洋美術館
 9月24日まで(毎月曜と7月17日(火)休館。ただし7月16日(祝)、8月13日(月)、9月17日・24日(祝・月)は開館
観覧料:一般1600円、大学生1200円、高校生800円 問い合わせ03-5777-8600

オリンパスOM-D E-M1-MaekU  M.zuiko Digital 14-42mm F3.5-5.6
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