第253回 【 [1968]置き去りにした青春を探して 】−−再読・五木寛之『デラシネの旗』
5月10日号
1968年ごろの五木寛之氏(『青春1968』に掲載)

  ちょうど50年前の1968年5月、テレビ局のニュース課長・黒井は、パリ・カルチェラタンの学生と警官隊の激しい衝突を撮ったフイルムの中に、あの九鬼を見つける。
 九鬼。かつて学生運動のリーダーとして黒井をデモに参加させ、黒井のガールフレンド城野理江子を恋人にしてしまった男。そして、一瞬にしろ黒井たちに愛と革命の夢を抱かせながら、忽然と姿を消していった男。
 それから10数年、彼が五月革命のパリにいる!
 黒井はテレビ局に就職し、結婚し、労働組合の委員長として活動していたが、最近、課長に昇進して管理者側に移った。
 かつてのガールフレンド、九鬼の恋人は、ジョーと名乗ってバーの経営者となり、今は黒井の愛人である。
 九鬼とはなんだったのか? 黒井は五月革命ただ中のパリへ発つ。ニュース番組の取材に名を借りて、あの九鬼に会うためである。
 国際空港オルリーは閉鎖されたままだ。黒井は、アリタリアでローマからブリュッセルへ飛び、トラックに便乗してパリへ入る。パリはストライキで清掃車もストップしてゴミの山、腐臭に満ちていた。地下鉄も動かず、食材の来ないレストランも休業。ただ学生たちが自主管理する美術学校だけが自由で明るかった。
 学生たちは舗道におりて《石畳みを剥がせ! この下は海だ》を合い言葉に、剥がした石を警官隊に投げつけた。街路樹のプラタナスを倒してバリケードを築き、ゲバ棒で装甲車に向かった。マルキストを表す赤旗、アナーキストの黒い旗が翻る陰の幹部席にいたのは、確かに九鬼だ! 黒井はカメラを抱えて突進して倒される…・。
 ようやく連絡が取れて、約束の場所に九鬼は来なかった。
 果たしてデモの男は九鬼だったか、もうどうでもいい、と黒井は思う。パリにきたのは、実は自分の中にいたはずの九鬼、あの挫折した青春の残像を探す旅だったのだ…。
 われわれはデラシネだ。根こそぎにされた根無し草。改革の理想を胸に抱きながら、「もう若くはないさ」と体制について揺れ動きただようデラシネ。
 黒井たちはジョーが脱いだ紫色のシャツを掲げて、シャンゼリゼを行進する。
oooo
 ドキュメントタッチで書かれた『デラシネの旗』は、五月革命の熱がまだ冷めない10月に、文藝春秋別冊に発表された。もちろん創作であるが、黒井の1部分は当時の五木さん自身かも知れず、実際、同じ時期に、五木さんはパリ・カルチェラタンにいて、美術学校で〈アデュー ドゴール〉のポスター作りを手伝っていた。
 おそらく本書の執筆中に、5月革命は急速に終末を迎えていたはずだ。石たたみはアスファルトに変えられ、ドゴールは再選された。日本でも、学生運動は終熄に向かい、やがて赤城山事件、軽井沢山荘事件の悲劇を迎える。ドゴールは翌年引退するが、佐藤首相は再任される。  「デラシネの旗」の凄さは、幻影に過ぎなかった革命の行く末を予言しながら、一種の悲しみの響きで書かれていることだ。50年目の今、再読するべき本だと思う。

『デラシネの旗』(文藝春秋社)初版本のカバー。裏面(左)は美術学校でポスターの印刷を手伝う五木寛之さん。

この写真集は、五木さんの序文にあるように「デラシネたちの墓標」であるが、
同時に、僕たちが《置き去りにしていた青春》を探す道しるべかも知れない、と思う。(彩流社刊・3200円+税)

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