第251回 【ベラスケスの栄光と生涯】 − 日本スペイン外交関係150年記念《プラド美術館展》
3月10日号
  スペインという國は不思議な國で、多くの異才・鬼才・狂才を排出してきた。「ドン・キホーテ」のセルバンテス、シュールレアリズムのダリ、「サグダラファミリア」のガウデイ・・・。
 しかし、「ベラスケスの絵画には、エル・グレコのような宗教的情熱も、ゴヤのような時代の波動と個人史をシンクロナイズさせたドラマや悲劇性も、またピカソのような破壊と再創造の爆発的なエネルギーも見出せない。ベラスケスの絵画は、常に平明にして簡潔、平凡かつ日常的で、卑近ながら、その根底には聖俗を超えた人間の高貴な厳粛さを宿している。」(大高保二郎)
 開催中の「プラド美術館展」のキャッチフレーズは、《ベラスケス7点が一挙来日、これは事件です。》
 120点しか残っていないベラスケスの作品の4割を収蔵しているプラドにしても、国宝級の7点を貸し出すとは、確かに事件かも知れない。
 ディエゴ・ベラスケスは、1599年、スペイン南部のセビーリアで生まれた。6年間の修行、18歳で宗教画家となった。19歳で絵画の師パチュコの娘ファナと結婚、翌年、長女のフランシスカが生まれる。このとき描いた絵が「東方三博士の礼拝」である。
 誕生したばかりの幼な子イエスを祝福して、3人の博士が贈り物を持ってくるお決まりの図柄。だが、幼な子は生まれたばかりのフランシスカ、抱いている聖母は妻ファナ、そしてひざまずいて贈り物を捧げている若い男は、自分自身がモデルだという。後ろには師で岳父のパチュコもいる。
 幼な子フランシスカは聡明で可愛く、聖母役のファナは慎ましく美しく、青年ディエゴの得意と、瑞々しい幸福感が伝わってくる。
 ベラスケスがフィリペ4世の王室付の画家となるのは23歳の時である。宮廷画家といっても、当時の地位は宮廷理髪師と同格だったが、ベラスケスはフィリペ4世から特別待遇され、私室取次係、宮廷警吏、王室衣装係などのや役職が与えられた。
 1629年、ベラスケスがイタリア遊学旅行中に王太子バルタサールが生まれた。フィリペ4世はベラスケスだけに肖像画を描かせようと帰国を待っていたという。今回展の目玉の大作「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」は1635年、王太子6歳の時の作だ。
 王の寵愛を受けながら、バルタザールは16歳で死ぬ。
 1649年、2度目のイタリア遊学は2年を超えた。王は再三帰国を促すが、ベラスケスは翌年の春まで帰ってこない。実はこのとき、イタリア女性との間に1子が生まれている。ベラスケス50歳だった。
 唯一の魅惑的な裸体画「鏡のヴィーナス」は、このときの女性がモデルで、イタリア滞在中の作ではないか、と想像されている。
 このあと、ベラスケスは59歳で死を迎えるまでに、「ラス・メニーナス」など20点(現存は10点)を描いた。

写真 ディエゴ・ベラスケス[東方三博士の礼拝」1619年(同展のカタログより)

【プラド美術館展―ベラスケスのと絵画の栄光】上野・国立西洋美術館
5月27日まで(月曜休館、ただし3月26日、4月30日の月曜は開館
観覧料:一般1600円、大学生1200円、高校生800円、中学生以下無料  問い合わせ03−5777−8600

オリンパスOM-D E-M1-MaekU  M.zuiko Digital 14-42mm F3.5-5.6
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