第246回 【 風景と調和すれば、存在が許される――安部大雅 】
10月10日号
[美しい山。川を流れる石ころ。砂浜に打ち上がる流木。それらの形はとうてい人間には作り得ない必然性を持つ。] 安部大雅のパンフレットは、こんな詩的な文章から始まる。続けて、[我々人間がどこまでその絶対的な説得力に近づけるのか。それを知るために僕は野外風景の中で作品を成立させようと試みる。] 安部さんは1996年から8年間、22才から30才までイタリアのカッラーラで彫刻を学んだ。背景に真っ白の山がそびえ、古代ローマの神殿からミケランジェロのダビデ像まで、白い大理石カッラーラ・ビアンコを切り出す街だ。 安部さんが「風景」というとき、カッラーラの風景を抜きには考えられない。安部さんに訊いてみた。風景とは、環境のことですか?「いわゆるエコロジーとはちょっと違う。いつも自覚して見ていないもの、空間というか・・・・」。確かに僕たちは、いま、自分のいる空間を意識していない。 パンフレットの前文に戻る。[山を模せば山に突き離され、差異を強調すれば森に拒絶され、偶然性に頼れば大地にかき消される。それでも、何度も心を無にしてその空間を見つめ直す。そしてようやく風景と調和すればそこに存在することを許される。] 安部さんの言葉は真摯だ。風景との調和が出来なければ、それは「許されざる者」だ。 世界はいま、アメリカも日本も〈排除〉の時代だ。排除する者、される者。風景と調和して許される者はどちらだろうか。 安部さんはイタリアから帰ってきて、主に月島倉庫の内外を舞台に、風景と調和し、見えなかった美を取り出しながら、街を変える仕事をしてきた。 [作品がまるで以前から存在していたように浸透していく。それを通して僕はそこに最初から漂っていた美の正体を垣間見る。] 9月、話題を呼んだ勝どき橋の月島倉庫での個展は、残念ながら終わってしまったが、10月10日にはトルコ・イスタンブルへ出かけて、日本文化を紹介するダイキンのための彫刻を作る。
写真上 彫刻「消失の堆積」の前の安部大雅さん。小柄だが大理石と 取り組んだ筋肉が盛り上がるマッチョだ。 写真中 大理石のかたまりから切り出した「ある駅の風景」 写真下 幻灯影絵のマンションの上を、ぼけた灯が漂うインスタレーション「光の波」。つい、風景に入ってみたくなる。(月島倉庫にて) オリンパスOM-D E-M1-MaekU M.zuiko Digital 14-42mm F3.5-5.6
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