第236回 【ロンドンを切る 早川伸生の天狗のハサミ】
12月10日号
  ミョルニルで髪を切ってもらっていると、早川さんの手の中のハサミの音がリズミカルで、ポップな音楽を聴いているように、うきうきしてしまう。そして、演奏が終わって鏡を見ると、変身! 生まれ変わった新しい私を発見する―。月に1度来店する女性の話です。

 早川伸生さんをはじめて見かけたのは、今年の夏、ロンドン、コペントガーデンの路地の一隅だった。彼は顔に長い赤鼻をつけ、背に大きな白い羽根を生やして、ロンドンっ子の髪を切っていた。
 異様な日本人という感じは全くなかった。鞍馬の山奥から飛んできて、通りに舞い降り、町ゆく人を呼び止めて髪を切っているだけ。何でも無いようだが、早川さんにとっては「やっておかなくてはならない重要なマイルストーンであり、このとき、新しい道が見えてきた」と言う。ロンドンの曇り空を軽快な音を立てて飛び回るあるものを見つけたことが、あとでわかるのだ。

 早川さんは1965年生まれ、家業は第1次世界大戦のころから百年続く理容店だった。中央理美容専門学校を出たあと、下北沢の理容店で修業し、25才で所沢に理美容店ロケット・バーバーを開く。1月はロック、2月はジャズ、3月はカリプソと好きな音楽を掛けまくり、好きな客だけを選ぶわがままな店だった。
 3年後、スタッフも増えて、自分のためばかりではなく、みなが喜ぶ普通の美容室カリプソを開く。
 店は好調で3店舗に増えた。このあたりで、また自分の好きに仕事をしたい、と思った。新しい魂を入れる小槌の意味の「ミョルニル」を野方にオープンした。ロケットバーバーの独立から24年目だった。
 音楽を奏でる早川さんの鋏は、手の中に隠れるほど小さい。われわれが知っている散髪鋏は刃渡りが10センチほどで、小指をかける突起が出ている。早川さんは、人の頭髪を切るには、刃渡りは3・8センチがいい、と刃物屋さんに特注したのだ。現在もカリプソとミョルニルで快調に使っている。だが、何かわからない不満があった。

 夏の夕方のロンドンで早川さんが見たものは、UFOのように曇り空を飛び跳ねる和挟、日本古来のにぎり鋏だった。
 今までの技術は、髪を下からカットしていく方法なのだが、にぎり鋏なら上から表面を削っていくことが可能だ。専門家でないものにはわからないが、はっきり仕上がりのイメージを描きながら作業が出来る、今までになかった方法だという。しかも、これなら両手が使える。
 新しい和挟は「おにぎり」と名づけ、刃物屋さんと共に開発中である。まもなく新春の美容室に軽快な新しい音楽が流れるはずだ。


写真(上) ロンドン・コペントガーデンの一隅で。
写真(下) 「ピンクルージュの男」で男女双方を演じる睡蓮みどりさんにアドバイス。「ヒゲをつけるとかえってセクシーになるよね」

MJOLNIR(ミョルニル)中野区野方5−3−2
CALYPSO(カリプソ)下井草店 高円寺店 所沢店 www.calypso.jp

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