第233回 【ユーロの方舟、沈没か グローバル資本主義の行方】
9月10日号
  ヒースロー空港に着いたのは午後6時。先着の仲間たちとの夕食に間に合うはずだった。しかし、イミグレーションへ向かう廊下に長蛇の列。通りすぎようとすると係員に制された。列に並べという。
 行列は動かない。ジリッと動いたかと思うと根が生えたように止まってしまう。時折、電動カートがベールを纏ったアラブ系の女性を乗せて取り過ぎる。別室へ運ばれていくのか。
 ようやく旅券審査のホールへでた。が、そこは渦巻くような人、人、人。じぐざくに張り巡らせたロープに沿って、数百人がほとんど立ち尽くしている。暑い。飲み物もない。トイレにも行けない。もちろん座るところもスペースもない。
 もし、今、テロに襲われたら、と思わず周りを見回した。逃げることも伏せることさえ出来はしない。
 気がつけば、旅券審査の窓口の半分は休んでいて、EU圏からの旅券専用、とサインがある。人と物の移動の自由がEUのうたい文句だから、そちらは審査もすいすいなのだろう。
 嫌がらせなのか、サボタージュなのか。入国のはんこを押して貰えた時は10時を過ぎていた。4時間、吊革もない満員電車の立ちん坊状態はさすがに疲れた。いっぺんにイギリスが嫌いになった。
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 旧ソ連の崩壊やアラブの春など歴史的転換を予言したフランスの歴史人口学者のエマニュエル・トッド氏は、ユーロの瓦解についても早くから予言していた。昨年、イギリスはユーロから脱退するでしょうか、との問いに、「もちろん!」と答えている。(文春新書「『ドイツ帝国』が世界を破滅させる」)氏はなぜこんな予言が出来たのか。
 1979年、首相に就いたM・サッチャーがグローバリゼーションを主導し、ローガン米大統領が追随した。その結果、自分たちの利益ばかりを追求するエリート支配層が跋扈して、労働者大衆との格差を広げた。ユーロはグローバル資本主義の申し子のように誕生したが、経済大国のドイツにに支配される『ドイツ帝国』になってしまった。ギリシャやスペインは主権を奪われ、フランスの失業率は10%を超え、イギリスは経済格差が最も大きい国になった。
 各国首脳はメルケル詣でいそがしい。国民投票の出口調査では、移民問題よりもイギリスの主権問題が重要視された結果が出ている。ユーロの強欲支配層に「うんざりだ、これ以上は耐えられない」と立ち上がった結果だ、とトッド氏はいう。
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 一度嫌いになったロンドンの街は活気が溢れていて、離脱の昂奮が冷めないままのように見えた。パブは混み合っていた。その先の通りには若いホームレスがいた。
 8月12日、ニースの花火大会にトラックが突っ込んで、84人の犠牲が出た。犯人はモロッコの移民で、ニースの大学を出て、履歴書を200通出したが就職できなかった。
 8月15日、筆者はトルコのクーデター失敗のニュースをスマホで見ながら、ユーロスターでパリ北駅に着いた。
 パリは、ロンドンにくらべて静かで、鳴りを潜めて萎縮しているように見えた。テロに怯えているのか。バカンスに入ったせいかも知れない。かつて日本人が爆買いに走った有名ブティックの並ぶサントノレ通りも閑散としている。エリーゼ宮の前では機銃を持った兵士が時々走り抜ける。
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 グローバル資本主義が世界を疲弊させ、格差は洪水のように押し寄せる。ユーロという名の巨大な方舟に28カ国が乗ったが、産みの親のイギリスが最初に舟を下りた。
「ユーロの終わりの始まりだ」とトッド氏は言う。

写真 フォーブルサントノレ通りはエリーゼ宮(大統領府)の前で通行止め。

オリンパスEP-F ズイコーデジタル12-42ミリ
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