第232回 【ポケモンもびっくり! ヨーロッパの江戸写し絵人気】
8月10日号
  イギリスがEU離脱を決めて間もないころ、パリ北駅、ユーロスター・ロンドン行きのイミグレーションで、イギリスの入国管理官からストップをかけられた日本人がいた。荷物の中に、複雑な形の木箱と重くて大きいバッテリーがあったからである。
 日本人は丁寧に説明したが、この木箱が江戸時代に風呂と呼ばれた幻灯器を復元したものであり、バッテリーは、舞台で写し絵を上映するためのものだということを理解させるのは簡単ではなかった。
oooo
 この日本人は、ビデオアーチストの中島興さんである。
 1941年東京生まれ。64年、多摩美術大学卒業。在学中の62年には毎日新聞・工業技術院賞を受賞、卒業後は 65年国際アニメーション・フェスティバルで作家賞、同年、手塚治虫と共同創設者として日本アニメーション協会の初代会長を勤める。大阪万博では三井パビリオンやリコーパビリオンのプロジェクトに参加するなど、若くして華々しく活動した。
 中島さんのライフワークと言えるのは、87年にパリで発表された2台のモニターによる『My Life』だろう。1台には妻の妊娠、娘の誕生、産声、6才までの成長の記録。もう1台には母親の死と、死に伴う1連の出来事。数ヶ月前からの母へのインタビュー、臨終、葬儀、入棺、親族のものが釘を打つ。
 2つの映像が同時に映し出される。生と死、それを見る第3者との関係で、〈今〉が成立するという。
 中島さんは娘が20才になっても、もっと年をとってからも撮り続ける。「それは私が彼女に贈ることの出来る最も美しいプレゼント」だという。さらに将来、3台目のモニターに、中島自身の死が映し出されるかも知れない。「生きることは死に向かって歩くこと。今、生きることが肯定なのだ」
oooo
 中島さんが「江戸写し絵」に出逢ったのは20年も前のことだ。床の間の飾りもののだるまが、手足を生やして夜中に抜け出し、屋台の店でうどんを食い逃げ、美女のもとへ忍び込む、という破天荒な幻灯で、江戸の庶民は、「これはキリシタンバテレンの魔術ではないか」と驚いた。写し絵は、1801年、江戸神楽坂で発明されたという。
 そして・・・・、時代はクールジャパンである。21世紀の日本はマンガ、アニメ、ゲームに尽きるといっていい。ヨーロッパにおける「ハイパー・ジャパン」の展示会は、パリでは昨年に続いて約30万人、イタリアのルッカでは約70万人を集めた。ポケモンの解禁前でこの人気である。アニメの基礎でもあり元祖でもある「江戸写し絵」を、ハイパージャパンの会場でアピールする重要な役目が中島さんに託されたわけだ。
 中島さんは、この日パリ・エキスポの出演を終えて、ロンドンへ向かったのだ。スタッフと離れてしまったが、1便遅れで無事ロンドンへ着いた。
 ちょうどその頃、筆者は成田を発ち、ロンドンへ向かっていた。ヒースロー空港・ターミナル4へ着いたのは午後6時。ホテルへ着いて中島さんたちと合流して、夕食はどこで、と考えていたのだが、とんでもない・・・。続きは次号で。


写真 大 だるまさんから手足が出た! 江戸写し絵の実演。(エキスポ会場内の劇場で)
写真 小 中島興さん。ロンドンでは初めてのハイパージャパンだったが、10万人以上の来場者があった。

オリンパスEP-F ズイコーデジタル12-42ミリ

◆劇団みんわ座公演「江戸写し絵『三枚のお札』上演と、テーブル影絵人形劇ワークショップ」日本橋三越本店カルチャーサロン
8月22日(月)14時半〜16時半 受講料金5,400円(制作キット付き お問い合わせ:03-6657-1703
close
mail ishiguro kenji