第231回 【夏休みは星空を駈ける時間旅行を 宮沢賢治生誕120年】
7月10日号
 ☆銀河鉄道の夜☆
 ジョバンニ少年は、学校の放課後、活字拾いのアルバイトで貰った銀貨でパンと角砂糖を買って、一目算に牛乳屋へ向かいました。病気の母に砂糖入りの牛乳をあげようと思ったのです。父はラッコ猟に出かけたまま帰ってきません。密猟が見つかって牢獄に入っているという噂もあって、級友たちにいじめられています。
 牛乳屋は留守で、新しい牛乳が届くのを待つ間、ジョバンニは黒い原っぱに寝転んで、南から北へミルクを流したような天の川を見ていました。すると、「銀河ステーション」と呼ぶ声がして、気がつくと小さな列車に乗っていました。
 宇宙旅行が始まったのです。
 星祭りの夜に川で流されて亡くなった友だちのカンパネルラもいっしょです。
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 この美しい未完の物語は、宮沢賢治が28歳のころ、1924年の秋から冬の間に書かれました。(詩人の入沢康夫・天澤退二郎両氏の研究による)
 賢治は1922年11月に最愛の妹トシを亡くし、激しい衝撃を受けます。そして翌年、汽車で青森・旭川・稚内・樺太へと、トシを探す旅に出ます。このときの体験とイメージが「銀河鉄道の夜」に結実した、といわれています。
 銀河は、天上へ死者たちを運ぶ道だったのです。

☆再生のミルク☆
 ジョバンニは、サザンクロスという、いわば天上と地上との分かれ道に来ます。そのとき、あのブルカニロ博士が、
「おまえはもう光の鉄道の中でなしに、ほんとうの世界の火や激しい波の中を大股にまっすぐ歩いていかなければいけない」と諭します。ジョバンニは、天上へ去るカンパネルラと別れて、天の川から地上へ戻ってきます。
 そして、牛乳の瓶を抱えてお母さんのもとへ走り出すのでした。

★生誕120年★
 宮沢賢治は1896年8月生まれ。今年は生誕120年に当たります。
 裕福な質屋の息子として育つうちに、貧乏な百姓がかけ替えのない品を質草に持ってくるのを見て、それがのちの賢治の生き方や創作に色濃く影響しているという指摘もあります。
 賢治が生まれる2ヶ月前には、三陸地震津波が起こり、生まれて5日後には陸羽地震が起こっています。それに続く冷害などが、農民たちを貧窮に追いやっていたのです。

★雨ニモ負ケズ☆
 賢治は、盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)で学び、「食」への関心がとても強く、自身も菜食主義でした。

 一日ニ玄米五合ト
 味噌ト少シノ野菜ヲタベ

「雨ニモ負ケズ」を1931年11月3日の手帳に書きしるした賢治は、その翌々年、銀河鉄道の帰らぬ客となりました。37歳でした。

★花巻市・宮沢賢治記念館では、生誕120年記念特別展として、
7月16日から「ナイトミュージアム『賢治童話の幻灯会』、 8月20日から『雨ニモマケズ展』などが開催される。

写真 わらび座(秋田)で上演された「銀河鉄道の夜」から
オリンパスE5 ズイコーデジタル12-60ミリ

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