第227回 【 チリからフクシマへ 防潮堤神話のいま 】
3月10日号
  岩手県山田町では、この日はわかめの採取解禁日だった。まだ暗いうちからわかめ採りに浜へ出ていた人たちが、2時半ごろ、波の引き方の異常に気づいた。  津波の前兆であるはずの地震はなかったが、何度も津波にやられている土地柄だから、消防署も敏感だった。すぐにサイレンを鳴らし、消防車を出動させて、「直ちに避難してください!」と連呼した。
 第1波が来たが、小さなものだった。役場では、宮古測候所へ問い合わせた。心配ない、との答えが返ってきた。連呼は、「津波の心配はありません」に変わった。  人々は浜へ戻りはじめた。
 その直後、海は激しく引きはじめ、海辺より数百メートルまで干上がった。4時30分、海面がみるみる盛り上がってきて、護岸堤防を越えた。1960年5月24日のことである。
 2日前の22日午後3時11分、チリ中部の近海でマグニチュード8.5とも9.0ともいわれる地震が発生。津波は、時速750キロで15時間後にハワイ島に達した。ヒロでは、第1波は数フィートだったが、1時間後に10,5メートルの津波が61名の命を奪った。
 地震発生から33時間後、津波は地球の反対側の三陸海岸で6.4メートルを記録した。むつ市で6.3メートル、土佐清水市でも2.7メートル。東京・築地では10センチだった。
 引き波が遠く長いため、干上がった浜へ魚介を拾いに出る人もいた。釜石市では、津波は河川から下水をさかのぼって、市中に、海水とともに鮫が吹き出してきた。
 大船渡市で死者行方不明者53名、日本全国では142名の犠牲者が出た。
 宮古市田老町では、過去の津波の経験から、高さ10メートルの防潮堤を作っていたので、被害はゼロだった。マスコミはこぞって取り上げて、防潮堤神話が生まれた。
 東京電力は、防潮堤神話に耳を貸さなかった。15メートルの津波が想定されていたが、防潮堤は約6メートルのまま3月11日午後2時46分を迎えた。震度6の地震で運転停止。41分後の15時27分、津波は約6メートルの防潮堤など眼にもくれない勢いで原発をのみ込んだ。外部電源のディーゼル発電機も停止。その後の1号機の水素爆発、2号機の放射能大量放出など、みなが知っているとうりだが、まだ解明されていないことが多いという。
 宮古・田老町の、万里の長城と言われた防潮堤は、3・11の津波にはあっさりと破壊され、200人近い犠牲者が出た。
 防潮堤は住民の命を守る可能性はあるが、それは、津波が防潮堤の高さの想定内である場合だけなのだ。
 いま、岩手、宮城、福島で巨大防潮堤を建設中だ。全長400キロ、高さ最高15.5メートル。総工費1兆円。
 海が見えなくなった。壁を見ると怖くなる。高台へ移転したのだから無用の長物だ。などと反対する向きも多い。ある地域では数100億の公費で守るのは田んぼだけ、と首をかしげる。しかし工事は画一的にすすむ。工事で仕事が増える。防潮堤の土地を売って、他地区へ引っ越す人もある。いろんな意味で住民の役には立っているのだろう。とにかく、何が何でも原発の回りだけは、100メートルぐらいの堤防で囲ってほしいものだ。
 もっと不吉なものがある。増殖する黒いかたまりだ。放射能を除染した土や木の葉、ゴミを集めて詰めたフレキシブルコンテナバッグ。重さ約1トン〜1.5トン。不気味に増えつづけて、広場や校庭を埋め尽くし、海岸を占拠してきた。現在、福島県で約1000万個が、不気味な生き物のように、焼くことも土に埋めることも出来ないのだ。

写真 行き場もなく、ただ黒々と海岸を埋め尽くす。

オリンパス E5 ズイコーデジタル12−60 ミリ


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