第226回 【 今年は皇紀2646年 太陰暦から仏滅歴まで 】
2月10日号
太陰暦
 今日2月10日は、中国人のバク買いまっ盛りでしょう。中国は実用的には西暦を使っているが、秦の始皇帝の時代から伝わってきた伝統の暦も色濃く残っている。2月8日が事実上のお正月で、日本でも旧盆の里帰りなどでおなじみの太陰暦である。
 新月から満月までを1ヶ月とした太陰暦は、農業など自然の移り変わりに左右される営みに合っていて、特に潮の満ち干に関係する漁業では絶対のものだった。
 いまでもサウジアラビアが使っているヒジュラ暦(イスラム暦)は純粋太陰暦で、1か月を29.530589日としている。従って、1年は354日となり、11日のずれがあるので、元旦は年ごとに春になったり夏になったりする。イスラム暦では1、7、11、12月は争いを禁じた聖なる月だ。暦に忠実にお願いしたいものだ。

ユリウス暦
 古代ローマの暦は1年が10ヶ月。2ヶ月間は暦がなかった。が、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が、エジプト遠征でクレオパトラの虜になっているとき、輝く太陽をもとにしたエジプトの暦を取り入れて、ユリウス暦を制定した。紀元前45年のことだという。このとき、1年を12ヶ月にするため、6月の次を自分の名前をつけて、ジュリアス(july)とした。のちに皇帝アウグストスも8月をアウガスタとした。そのせいで9月が7を意味するセプト、10月をオクト(8)という風に2ヶ月ずれている。しかも、自分の月を大の月にするため、2月から1日づつ持ってきた。2月は寒いから短い方がいい、というのだが……。

グレゴリオ暦
 ユリウス暦では、1年に約11分15秒の差が出るので、教皇グレゴリアス13世が、1582年10月4日を10月15日として、改良版新暦を制定した。これがいまわれわれが使っている暦の原型だ。

13月がなくなった
 日本がグレゴリオ暦を取り入れたのは明治に入ってからだ。
 明治5年(1872)は閏月の13月がある年だった。その13月直前に、突然「12月3日をもって、明治6年1月1日とする」と公布された。政府の財政が厳しく、1ヶ月分の給料をうやむやにするためだったといわれる。すでに印刷を終わっていたカレンダー屋さんが大損害を被った。
 今年は閏日がある。グレゴリオ暦では、1年は365,2425日であるから、400年に97回の閏日をもうける。さらに、10年に1秒程度の閏秒を入れなければならないのだが、90年代に7回挿入したあと行われていない。宇宙関係やコンピュータには閏秒はとんでもない天敵だそうである。
 日、月の長さは地球の自転や月齢から決められてきたが、地球に大きな地震などがあるとわずかな狂いがでる。現在は、100年に10万分の数秒しか狂わない原子時計が使われている。

紀元説いろいろ
 ところで、何を基準に紀元を定めるか。いわゆる西暦はキリスト誕生を紀元とする。ヒジュラ暦は、ムハンマドがメッカからメディナへ遷都(ヒジュラ)した西暦622年7月16日が紀元だ。
 仏教では、紀元前543年、2月15日の釈迦の入滅を紀元として定める。今年は「仏滅2559」年である。ちなみに釈迦誕生は4月8日、花祭りとして祝っている。
 もっと古いのは神武天皇即位紀元(皇紀)である。即位は紀元前660年だから、今年は2676年である。
 皇紀はグレゴリオ暦導入後も一般に使われていた。カメラのニコンの初代機のシリアルナンバーは6から始まっているが、皇紀2606年製の6をとった表示だという。
 皇紀は、日本書紀などの記述をもとに制定したそうだが、即位日の2月11日が、いまでも「建国記念の」日である。今年あたり、皇紀復活などという風潮が出てきそうで、やれやれ、だ。

写真 仏教伝道教会が出しているカレンダー。さすがに仏教の文言は深く鋭い。写真は一般からの公募、現在2018年度の写真募集中である。(筆者は審査員をつとめている。)

オリンパスOM-D EM-1 M.ズイコーデジタル12−60 ミリ


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