第221回 軍艦島の明暗
9月10日号
 世界遺産登録で脚光を浴びる長崎市端島。どこから見ても、軍艦としか見えないこの島は、6回にわたって、浅瀬、岩礁を取り込んで拡張を繰り返したいわば人工の島だから、アメリカ軍が見間違って魚雷を撃ち込んだとさえいわれている。
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 1946年から48年の間、「炭鉱へ送る夕べ」というラジオ番組があった。ニュースなどのほか、『全国炭鉱のど自慢大会』、その他演芸など盛りだくさん。テレビのない時代の娯楽バラエティ番組で、炭鉱で働く30万人はもちろん、全国的に人気の番組だった。
 敗戦で壊滅した日本経済を立て直すに欠かせないエネルギー、その虎の子の石炭の増産にすべてがかかっていたのだ。
 この島には最盛期には5267人が住み、人口密度は東京の9倍。住宅のほかに店舗、小中学校、病院、産院、神社、寺院、映画館、理髪店、パチンコ屋、麻雀荘…、火葬場と墓地以外は何でもあった。
 島の北側には韓国人が住み、南側には中国人が暮らした。過酷な環境で、両者が結託して反乱を起こす機会を摘み取る処置だった。炭鉱労働者は、強制連行された中国・韓国人も多かったのである。
 あるとき、島から野母半島まで4.5キロを泳いで渡り、島抜けした男がいた。在日韓国人で、玄界灘を丸太に乗って来日したという伝説の持ち主だから、真偽のほどは確かではないが。
 彼はその後結婚し、女の子が生まれた。女の子は美しい娘に成長、女優を志し、その美貌と大胆な演技でスターとなった。いま、最も存在感のある大御所的な女優、松坂慶子さんである。
 今度の世界遺産登録には、韓国と中国が強硬に反対し、一時発表が頓挫した。軍艦島をはじめ、「強制連行被害者を働かせた施設は、人類の普遍的な価値を持つ遺産を保護するという世界遺産条約の基本方針に反する」というのである。松坂さんのお父さんは強制連行の労働者ではなかったが、危険で過酷な労働が強いられていたことは否定できない。
 1942年、戦争中の労働力不足のため、日本政府は「華人労働者内地移入」を閣議決定して、以後約4万人を強制連行し、主に鉱山などの過酷労働に就かせた。1945年の花岡事件は、986人の労働者が一斉蜂起し、400名が警察と特高に虐殺された、象徴的な事件である。2000年に鹿島との間で一応の和解が成立したが、まだほんとうの解決には至っていない。
 今度の登録は、「明治日本の産業革命遺産 製鉄、製鋼、造船、石炭産業」で、「初めて非西洋国家に産業化の波及が成功した」というのだが、その8県にまたがる23の近代化のための施設の多くが強制連行の事実と重なるのである。
 世界に誇るべき遺産は、同時に負の遺産でもある。残念だが、認めなければならない。
 強制連行は日本だけではない。終戦後、中国からシベリアへ連れ去られた日本人は80万人ともいわれ、約半数が亡くなっている。1993年に来日したエリツィン大統領が謝罪したが、保証などはどうなっているのだろう。

写真 軍艦島(端島。)2009年から観光客が上陸見学できるようになった。世界遺産登録後は、各クルーズとも満席で、早めの予約が必要。天候の具合により、上陸が出来るのは年間約100日ほどという。

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