第220回 消えた被爆石像
8月10日号
 旧盆の8月15日は、日本では昔からご先祖様が帰って来て、語り合い、死と向き合う日です。それが終戦の日と重なったのは、偶然なのでしょうか。今年はその70周年です。
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 松村明さんが、写真集「グランドゼロ 爆心地1キロ」を出版、写真展も開いている。
 5年前、この欄で、彼の「ありふれた長崎」を紹介した。それは、当時24万の市民の半数以上が死傷した被爆の痕跡を、何気ない長崎の情景の中に写し撮ったものだった。が、5年後の今度の仕事「爆心地1キロ」は、被爆した物体や石像と正面から向き合い、もう「さりげない」どころではない、切迫感で僕たちに迫ってくる。
 真っ先にぼくはフランスの画家、ジャン・フォートリエの「人質」を思い出した。1945年、ゲシュタボから逃れて、パリ郊外に隠れていた彼は、捕虜たちがナチスに処刑されたことを知り、怒りを込めて、「人質」たちのゆがんだ顔、損傷した顔を描いた。
 松村さんの撮った石像は、主に浦上天主堂の聖人たちの像と思われるが、それらは鼻が欠け、唇が割れ、顔面がすっかり剥がれたものもある。
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 ぼくは、松村さんの写真を教科書兼ガイドブックとして、この目でその石像を見ることを決め、長崎へ向かった。浦上天主堂へ3日かよって、いくつかの石像に出会った。奇蹟のマリア像の撮影の許可ももらった。しかし、最も損傷の激しい、顔面が剥がれた像はどこにもなかった。
 きけば、長崎原爆資料館にあるという。保存を考慮して移動されたのであろう。  原爆資料館はすでに見学したが、それらしい像はなかった。事務室を訪ね、写真を見せて、この像を探していることを告げた。答えは、確かに収蔵庫にあるが、収蔵庫は係員以外入ることは出来ないから、当然お見せできないと言う。では近いうちに一般展示で見ることが出来るかと言えば、その予定はない、という。
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 広島と長崎の原爆資料館は、いま、原爆をテーマにしたアミューズメントパークになろうとしているようだ。
 かつて資料館で見た、焼け剥がれた皮膚を垂らしながら逃げる人の写真など、「おぞましい映像」の数々は、いつの間にか取り下げられて、収蔵庫という死蔵庫に隔離された。「見て、気持ちが悪くなる」、「こんなものは見たくない」などのクレームがあったためという。しかし、戦争は、誰にとっても気持ちのいいものであるはずがない。恐ろしい、吐き気がする、そのことをみなが知るべきだと思う。誰がなんと言おうと、戦争の真実をはっきり示す、それが、原爆資料館の唯一の存在理由ではなかったか。



写真(大) 奇蹟的に瓦礫の中から見つけられた木彫のマリア像。(浦上天主堂・被爆マリア小聖堂)
写真(小) 「グランドゼロ 爆心地1キロ」(冬青社刊3800円)

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