第215回 希望の牛 もしあなたが日本を愛しているなら、この二人の詩人の声に
耳をかたむけてみよう。  アーサー・ビナード

3月10日号
  アーサー・ビナードさんはアメリカ生まれ。日本人よりも日本語がうまいくらいで、詩集『つり上げては』で中原中也賞、絵本『ここが家だベンヤーンの第五福竜丸』で日本絵本大賞をとった詩人である。納豆が好きで、日本語の名前は「朝 美納豆」。
 では、美納豆さんのすすめにしたがい、さっそく2人の日本の詩人の声を聞いてみよう。(残念ながら全編を紹介するスペースがない。抄訳でお許し願いたい)。

『逃げる』 御庄博美
 逃げろという
 福島原発1号機が破砕した
 20キロ圏内は直ちに逃げろという
 1日か2日かの避難と思っていたが
 もうかえしてもらえないという
 べこが腹を減らしているだろう
 牛の飼い葉はたれも見てやれねえ
 牛の水は 自分ではのみにはゆけん
 自分でたがから外れたろうか

 御庄さんの本名は丸尾博、広島共立病院名誉院長で、惜しくも先月亡くなられた。「原爆と原発の分離できない双子の遺産に」、「ヒロシマでの事実を知る一人の詩人として、書き残さなければならない」とあとがきに書く。
 長詩「千鳥が淵へ行きましたか」で地球賞を得た石川逸子さんも「被害に遭わない身が詩を書くことの不遜さに怯えつつ、全くの人災である原発事故をおもうと」、書かずにはいられなかった。

『牛のささやき』 石川逸子
 牛舎で
 倒れている 牛たち
 道ばたで バタリ 倒れる牛たち
 地震では崩れなかった牛舎が
 放射能汚染区域となり
 突如避難させられた 飼い主たち
 倒れていく牛は知らない
 ホウシャノウという言葉も
oooo
 福島県浪江町、第1原発から14キロの地点で道路は封鎖され、それ以上は近づけない。そのわずか数メートル手前に左へ曲がる道があり、そこから先は「希望の牧場」である。ここに300頭の牛がいる。
 3・12の原発爆発のあと浪江町には生死をさまよう牛が、吉沢正巳さんが経営する浪江牧場を含めて数百頭いた。汚染された牛の出荷は拒否され、農水省は殺処分を迫った。処分に差し出せば1頭幾らの補償金が出る。しかし、牛たちをみすみす犠牲に出来ない人がいた。その一人、吉澤さんは自分が被爆することを覚悟の上で、牛飼いを続けることにした。実は、この牧場はいまでも毎時3マイクロシーベルトの放射能が降りやまない絶望の牧場なのだ。

 絶望の牧場が希望だと? しかし、いま僕たちは、希望はどこかにあるものではなく自分の中にだけあるのだ、と気づく。生きていることがかすかな希望の火なのだと。 …その火が炎になって燃えさかることを希いながら。



写真(上)被爆3年後、牛にまだらの斑点が出てきた。農水省は原因不明といい、大学では、「放射能の影響がないとはいえない」という。
写真(中) 希望牧場代表の吉澤正巳さん(左)と話す石川逸子さん(右)中央は陶板彫刻家の関谷興仁さん。
写真(下) 詩集「哀悼と怒り―桜の國の悲しみ」(西田書店)1400円+税

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