第213回 沖縄からの風に聞く
1月10日号
  あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。
 沖縄からの新年のご挨拶も恒例になってしまいましたが、特別にこだわっているわけでもないのになぜだろうか、とふと考えました。
 どうやらそれは、沖縄は時代の波をまっ先にかぶってきた歴史があり、そこから吹いてくる風には時代を予見する何かがある、と感じていたようです。決して暖かい風ではなく、凍る冷たさだったり、強過ぎたりですが、原点に立ち戻って見つめ直すというおまけがついていることにも気付きました。昨年末にふとしたきっかけから岡本太郎著「沖縄文化論」(中公文庫)を再読して、そんな感想がわいてきたのです。
 1972年、当初「忘れられた日本」として出版されたこの本は、三島由紀夫が絶賛し、川端康成が「ぼくも沖縄に行きたくなった」と言い、のちに毎日出版文化賞を受賞した素晴らしい著作です。
 岡本太郎が沖縄を訪れたのは、まだアメリカ占領下でパスポートまがいの証明書がなければ渡航が許されない時代でした。
 沖縄本島から石垣までたどった彼は、まばゆく美しい風景の中を行きながら、「八重山の辛く苦しかった人頭税時代の残酷なドラマを伝えるさまざまの歌、物語を聞いて、その美しさに激しくうたれる。」と書きます。「悲しい思い出がどうしてあのように美しいのか」と。
 人頭税は薩摩藩に支配された琉球王府が、宮古・八重山地方に課した税のことで、15歳から50歳までの島民すべてに、穀物と上布の納付を強いたものです。その過酷さは、例えば隆起珊瑚礁で土のない竹富島にまで米の納付を命じた。そのため島民たちは石垣島や西表島へ集団で季節移住して耕作する。が、移住の村はマラリヤにやられて全滅してしまう。  役人の厳しい取り立てのお目こぼしのために娘を差し出す。妾となれば税は免除、子供を産めば士族になれる。そのため、島の若い恋人たちの悲劇は珍しくもない。
 島びとはたとえようもない悲しみをアヨウやユンタで伝えてきました。ユンタは詩歌、アヨウは綾語(叙事詩)のことで、アユ(思う)と同義語だそうです。
 なぜ歌なのか。八重山では、文字を書くことも読むことも学ぶことも禁じられていた。このような上様に奉仕するためだけに生きる奴隷以下の格差社会が、1903年まで300年も続いたのです。
 そしていま、現実の日本では格差が急速度で厳しさを増している。
 昨年の漢字は、「税」でした。昨年の年賀状は50円で今年は52円。200円のパンを買えば16円を納める。消費税は乳幼児から高齢者まで、ゆりかごから墓場まで生きるためのすべてにかかる税で、新型の人頭税ともいえます。
 格差は資本主義の宿命(トマ・ピケティ)だそうですが、年末に発表される今年の漢字は「喜」とか「願」とかにしたいものですね。


写真 元校長先生で現村長の男性は、ウガン(拝み場)にひざまずいて、海と空とその先のニライカナイに向かって祈った。

オリンパスE3 ズイコーレジタル12〜50ミリ


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