第212回 「義」は高倉健ともに消え、「仁」は菅原文太とともに去って行く
12月10日号
  高倉健さんが人気を不動のものにしたのは、「昭和残侠伝」シリーズだった。60-70年安保闘争の渦中で、若者たちは、理不尽な相手に我慢の限度を超え、ついに殺気を帯びて挑んでいく健さんに胸をかきむしられた。見終わって映画館を出るときは、みな肩をいからせていたのだった。以来、健さんは義の人として生き、咋月10日に亡くなった。
 「義」とはなにか。いま、試みに若い人に説明しようとして、途方に暮れる。義は義務の義であり義理の義、正義の、ほらソフトバンクの孫さんも正義でしょ、というと何となく分かったような顔になるが、かえってこちらが分からなくなってしまう。で、久しぶりに辞書をひいてみた。義は「正しく立派なこと」と出てくる。
 まさに健さんは義の人であった。
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 菅原文太さんは「昭和残侠伝」の後に、その内実を糾弾するような「仁義なき戦い」で出てきた。義に彩られた任侠の世界を深作監督があばいて見せたのだ。安保闘争が惨めな形で収束したとき、健さんの後を追って、文太さんはスターになった。その後、「トラック野郎」シリーズで幅広い人気を得た。
 俳優を卒業してからは、原発禁止など社会的な問題に関心を示し、発言もしてきた。晩年は山梨で無農薬野菜の栽培をしていたと聞く。政治的発言が皆無の健さんとは対照的だ。
 文太さんは、「仁」の人だったように思う。
 仁についても辞書をひくと、「情け、思いやり、人の根本の道」と出てくる。ちなみに植物の種の内部を仁という。アマニは亜麻仁である。
 義も仁も儒教の五常「仁、義、礼、智、信」にあり、いずれも「利」と対立する思想だという。
 五常にはない「侠」は、おとこ気とある。「男気」をひくと、「利益や情実よりも、正しいこと、弱いものに味方する気性のこと」だそうである。
 これでは若い人に説明しても分かってもらえないはずだ。現代は、義や仁や侠に対するセンサーが壊れていて、利にばかり敏感な時代だから。


写真(左) 健さんは、ステージでは出番のないときでも、出ずっぱりで疲れていても絶対に座らない。しかも、小童っぱのカメラマンの注文には、ハイといって応じてくれた。持っていた刀で斬られても仕方なかった、といま思う。

写真(右) 健さんのポスターを見た菅原文太さんから、「俺のも撮ってくれ」といわれて、京都の街を歩き回った。文太さんは、おそろしくシャイで、繊細な人だった。

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