第203回 サクラさくら桜
3月25日号
   さくら前線北上中。今年の開花予想では、例年よりやや早めとか。
 日本人はみな桜が好きで、テレビ中継、雑誌グラビア、写真誌は桜の撮り方、と一足早く満開です。
 桜はいつから日本人のこころといわれるようになったのでしょうか。江戸時代の学者・本居宣長は、
 しき島の大和ごころを人問わば 朝日ににおう山桜花
 と詠みましたが、この歌がぱっと咲いてぱっと散る武士の心を特に表してしているとは思われません。また、満開の下で、玉杯に花びらを受けて呑む花見の宴は、日本人にしか分からない世界だ、と言っているわけでもないようです。
 ぱっと咲いてぱっと散るなんてくだらない、と思っている人は、いま、とても多いはずです。お花見も、場所取りに苦労して酒に酔うなんて、世界中で日本人だけ、恥ずかしいと思っている人もいます。
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  坂口安吾は「桜が咲くと人々は酒をぶらさげげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。」と書きます。花見の宴は「江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖ろしいと思って」いたといいます。
 『桜の森の満開の下』は、荒くれた山賊が桜の花の下で気がおかしくなってしまう話で、映画にもなりました(篠田正浩監督)。四方の山々や空や雲までもオレのものだとうそぶく山賊(若山富三郎)は、日ごと、旅人を襲って暮らしていましたが、ある時、京の雅な旅人の女房(岩下志麻)を奪い妻とします。が、その妖艶な美しさに魅入られて、逆に奴隷のようにかしずき、奉仕するようになってしまいます。女の満足を得るために、京の都で、金品を強奪し人を殺めていましたが、それにあきた山賊が山へ戻り、女を背負って満開の桜の森に入ったとき、花吹雪の中で、背中の妻は紫いろの老婆となって山賊の首を絞めてきます。ふりほどいて寝かせた美しい女は、花にまみれて死んでいきます。
 山賊は、積もる花びらをかき分けて女をさがし触れようとしますが、ただ花びらが舞い上がるだけ・・・そして、いつしか山賊自身も幻となって花の中へ消えてしまうのです。
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 さくらは日本の多くの作家たちの想像力を刺激してきました。
 日本最古の小説『源氏物語』でも、さくらは主要なシーンを彩っています。
 梶井基次郎は、「桜の樹の下には、屍体が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。」と書きました。(『桜の樹の下には』)
 あまりにも残酷な勧善懲悪の説話。『花咲爺さん』のラストで枯れ木に灰をふりかけますが、咲いたのはさくらの花でした。
 桜の樹は生命力が強く、どう猛で、その花は官能的で妖気をはらんでいます。ぱっと咲いてぱっと散るいさぎよさとはまるで逆の印象です。





写真(上) 満開のさくらは、人の気をおかしくさせてしまう。
写真(中) 目黒川添いのさくら。中目黒桜祭りは4月1日〜10日、6日(日)はフラダンスなどのイベントあり。
写真(下) 井の頭公園のさくら。池の周りに約400本のさくら。

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