第202回 悲しみの街へようこそ 神隠しされた街 詩人の預言・若松丈太郎さん
3月10日号
  若松さんに南相馬市立図書館で初めてお会いしたときの第一声は、「ぼくは怒っているんですよ」だった。どう見ても温厚な人柄に違いなく、威圧感を振り回すタイプにも見えなかったので驚いた。いったい何を怒っておいでなのか、お話を聞くうちに怒りの中身が少しずつ見えてきた。
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 2012年2月、加藤登紀子さんがコンサートで「神隠しされた街」をうたって、つよく人々の心を打ち、評判になった。若松さんの詩に自身が曲を付けた歌である。
 その詩は、

 四万五千の人びとが二時間の間に消えた
 サッカーゲームが終わって競技場から立ち去ったのではない
 人びとの暮らしがひとつの都市からそっくり消えたのだ

 で始まる90行に及ぶ長詩なので要点を書き記すと、原発事故のあと半径30Kmゾーンが危険地帯とされ、3日間で合計15万人が100Km先へちりぢりに消えていったこと、そして、

 半径30Kmゾーンといえば
 東京電力福島原子力発電所を中心に据えると
 双葉町 大熊町 富岡町
 楢葉町 浪江町 広野町
 川内村 都路村 葛尾村
 小高町 いわき市北部
 そして私の住む原町市が含まれる
 こちらもあわせて約十五万人
 私たちが消える先はどこか
 私たちはどこに姿を消せばいいのか

 と続く。
 3年前に起こったことを細部まで、克明に、忠実に描写した、と誰もが思った。が、実はこの詩は17年前に書かれたのだった。そのことを知って、読んだ人は驚き、歌を聴いたものは戦慄した。
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 若松さんは、1994年5月、事故後8年目のチェリノブイリと、3キロ圏の町プリピャチを訪れた。現在紛争の続くウクライナの首都キエフからバスで2時間、ベラルーシとの国境に近い地域である。
 若松さんたち一行を迎えたチェリノブイリ国際調査センターの主任は「悲しみの町へようこそ」と挨拶した。
 チェリノブイリで働く人が多く住むプリピャチは、1986年4月27日から、今も時が止まったまま廃墟となっていた。全行程5日という強行軍だったが、この旅行のあとで書いた詩なのである。
 予言が当たったと言われると悪い気はしないが、本当は当たっていることに怒っているのだ。若松さんは福島原発が計画されたときから、ずーっと違和感を持ち続けていたのだ。「大熊町は、木炭の生産が日本一、モミ材の卒塔婆の80%は大熊町で作られていた。その土地と双葉町にまたがる長者原320ヘクタールを坪250円、総額2億5千万円で売った」。若松さんが住む原町市(現南相馬市)は、立地ではなく保証金も入らないからよそ事に過ぎななったが、そうじゃない、と危惧していた。まさか現実となるとは思わなかった。
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 若松さんの詩は、未来のことを当てる占いでも、予言でもない。私たちには聞こえない言葉を預かって私たちに伝える預言の言葉なのだ。
 美しい都市キエフのシェフチェンコ公園を通った時のことを、若松さんは書いている。「シェフチェンコはウクライナの人々から尊敬されている詩人である。公園には銅像もあった。多くの国では、詩と詩人は重んじられているが、日本では貶められている。」





写真(上) 浮舟文化会館で、壊れたままの展示物を見る若松丈太郎さん。南相馬出身の文学者、埴谷雄高、島尾敏雄などを顕彰する併設の埴谷島尾文学記念資料館の設立に携わった。
写真(中) 浮舟文化会館では、3・11の「行事予定」がそのままだ。
写真(下) 三里塚の幻野祭でうたう加藤登紀子さん。

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