第200回 脱出の希望と、砂地獄の心地よさ 「砂女←→砂男」日独演出競演
2月10日号
  安部公房作『砂の女』は1962年に発表され、日本国内はもちろん世界27カ国で翻訳出版されて、ノーベル文学賞の候補にもなった名作である。
 昆虫採集のために砂丘の村へ出かけた男が、1夜の仮の宿にむりやり閉じ込められてしまう。村では、砂から村を守る男の働き手を必要としていた。
 男はありとあらゆる手段を尽くして脱出を試みるが、ことごとく失敗する。蟻地獄のような砂の穴の中で、家主の砂の女性との奇妙な共同生活が始まる。
 男は、昆虫の新種を発見して昆虫図鑑に名前を残すことを望んでいた。その希望はあっけなく砂の壁に阻まれた。
 彼を閉じ込めたのは、村落共同体、とりわけ性と家庭という絆としがらみだった。つまり人間の生存の不条理そのものである。
 『砂の女』と同じ62年に東ドイツで生まれたペーター・ゲスナーさんは、ライプツィヒ大学で学び、その後、国立劇場で働いていたとき、ベルリンの壁が崩壊した。28歳だった。そのころ、ドイツ語版『砂の女』を読んで、いつかはこの小説を舞台化したい、と思った。
 2年後、ゲスナーさんは、ドイツ文学研究者の夫人が九州工業大学に招かれた機会に、娘と3人で来日した。日本語はもちろん、英語も分からなかった。が、「うずめ劇場」を立ち上げて北九州市を拠点に、劇場以外のお寺や神社、ホテルのテラスなどの公演を続けた。2004年、桐朋学園芸術短期大学の演劇専攻科専任講師となり、それをきっかけに東京へ。現在、同大学教授である。
 当初2年間の予定が20年を過ぎた。
 自分は旅人だ、とゲスナーさんはいう。そう、昆虫採集の男のように、希望を持った旅人だ。東ドイツという砂地獄を抜け出し、北九州という砂地獄に暮らし、今度は東京という名の巨大な砂地獄に居て、毎日まいにち砂をかき運んでいる。まるで、シジフの神話の シジフのように。
 そしていま、滞日20年のまとめとして、かつてドイツで読んだ『砂の女』の上演にたどりついた。
 ゲスナーさんはスタッフや俳優と意見を交換しながら、ブラッシュアップして芝居を作っていく。積極的な提案や演技を要求するから、演出家の言いなりに慣れた俳優には厳しい稽古となる。
 今回、プロデューサーとしてゲスナーさんが競演演出の相手に選んだのは、「少年王者舘」の天野天街さんだ。ドイツの作家ホフマンの『砂男』を日本人の天野さんの脚色・演出に託した。
 天野さんは日本の演劇が最もパワフルだったアングラ演劇の時代につながる作家だという。そういえば、唐十郎の赤テント、寺山修司の天井桟敷、鈴木忠志の早稲田小劇場、そして野田秀樹の夢の遊眠社のあとはテレビ由来の商業演劇しかお目にかかることが出来ない。次のステージの可能性をゲスナーさんは期待したのだ。
 ふと眼にした天野さんの手書きの台本は、緻密で、精密機械の設計図のようだ。音と光とセリフのミリ単位の交叉が、奔放なファンタジーを生むことが分かる。
 さて『砂の女』の男はどうなったか。彼は同居の女性が子宮外妊娠で病院へ運ばれる機に、容易に脱出することができた。村人が撤収をしなかった縄ばしごをつたって、いったんは出た。夢に見た海と風と自由が目の前に広がった。
 が、男はまた砂の穴に戻ってきた。地域社会のためになるアイデアを完成させる喜びの方が強いのだった。
 ペーターさんは砂地獄の過酷なしがらみと同時に、そこに身をゆだねる安楽も知っている。もちろん共同体のために働くよろこびも。
(石黒健治)





写真(上) 「砂女」降りかかる砂を避けて、家の中でも傘をさして食事。後藤まなみさんと荒牧大道さん
写真(中) 「砂男」奥野美帆(クララ)さんと荒牧大道(ナタナエル)さん
写真(下) 演出の左・天野天街、右ペーター・ゲスナー両氏

オリンパス OM-D E-M1 M.ズイコーデジタル12−50 ミリ F2.8


★「砂女←→砂男」下北沢 ザ・スズナリ tel:03−3469−0511 2月11日(祝)まで。
チケット料金5000円(前売り4500円)学生3000円 砂女・砂男通し券6800円
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