第192回 紅葉の天空を行く 秋田内陸縦貫鉄道に乗る
10月10日号
  列車であれ飛行機であれ、乗りものはすべて、ある目的で、目的地へ行くための交通手段である。ところが、目的地は特になくて、乗ることが目的、という乗りものがある。
 秋田新幹線こまち号で約3時間、JR角駅右手が秋田内陸線の角駅だ。1両だけのディーゼル車が待っている。乗客はほぼ満席。後部席では宴会のはじまりなのか、早くも缶ビールの乾杯が始まっている。
 定刻に出発。市街地を抜けると窓外は「日本の田舎」の風景に変わる。何でもない普通の、平凡な田舎の風景ほど、都会から来た者どもの、とげとげした神経を休めてくれるものはない。
 右手に秋田駒ヶ岳が見えてくる。春、残雪が馬の形になって、田植えの季節がきたことを教えくれます、と、これは観光アテンダントの女性の説明だ。
 内陸線では、全29駅の内16駅にセカンドネームがついている。八津駅は「かたくり群生の郷の駅」、松葉駅は「田沢湖に一番近い駅」という。そこを過ぎたあたりから、車中宴会の一団が急に静かになった。一斉に窓に顔を寄せて、おお、おおと歓声を上げる。
 いつの間にかディーゼル車はスピードを落とし、われわれは紅葉のまっただ中をゆっくり走っている。夏に濃い緑だった風景がカラーネガのように反対色に変貌している。別世界である。運転手はさらに、ほとんど止まるほどに徐行。深い谷を見下ろす鉄橋にさしかかったのだ。真紅に染まった渓谷を飽きるまで堪能させてくれる。カメラを掲げる人、指さす人、いきをのむ風景だ。
 上桧木内駅に着く。「紙風船上げの駅」である。(今年1月に当欄でご紹介した。)その先はまた紅葉の世界。十二段トンネルを抜け、阿仁マタギ駅で宴会の人々は降りていった。今夜はマタギの湯の宿でゆっくりするのだろう。「根子集落入り口の駅」笑内駅、思わず笑ってしまう。(おかしないと読む)根子集落は源平の落人が開拓した村といわれる。
 本社のある阿仁合駅。阿仁はかつてこのあたりが日本一の銅山だったころ、人口も2万を超えて栄えたが、いまは5千に満たない。
 内陸線は全長94.2キロの過疎地を走る。冬は雪に埋まる沿線の住民のかけがいのない足だ。北秋田市と仙北市から補助を受けての運営だが、毎年、存続が論議され、2011年には社長公募で話題になった。新社長に科せられた責務は、年間の赤字を2億円以内にとどめること。そごう百貨店長から転身した酒井社長は、「お客様にご満足いただく商売としてはデパートも鉄道も同じ」と言い切って、新しいアイデアを連発、昨年は乗り切ることができた。今年はどうか、心配だ。地元の人にも都会の者にも、内陸線は必要だから。

 
 
写真(上) 天空を行くディゼル車。今年は、10月中旬から下旬が紅葉の旬だという。(昨年11月撮影)
写真(中) お土産の人気ナンバーワンは「バター餅」
写真(下左) 酒井一郎 秋田縦貫鉄道株式会社 社長   (下右) 阿仁前田駅の温泉。改札を出て10歩で入れる。

オリンパス OM-D E-M5 M.ズイコーデジタル12~50ミリ

 
秋田内陸縦貫鉄道路線図

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