第191回 新・写真作法E 空間@ 「空間のゆがみについて」
9月25日号


 ●すべての被写体には矢印がついている。
  写真は被写体がなければ写真になれないことは、すでに述べた通りです。その被写体には、やっかいなことにすべて矢印がついている。
 右を向いている人は右へ、左向きの人は左へ矢印がついていると考えてください。正面を向いているが左へ流し目を使っている人は、左へ矢印、ということになります。
 野球のボールやリンゴなどは、どちらを向いているとも言えない、という疑問がありそうですが、完全な球体でも、光の受け方によって矢印が出てきます。

(写真1)中央に位置したリンゴが、正面からの光を受けていれば、矢印は正面へ。堂々と存在感を示している印象を受けます。


(写真2)同じように中央に置かれたたリンゴでも、左からの光によって、左の空間が明るく豊かに見えます。矢印は左です。


(写真3)同じ光でも、リンゴが画面の左端に位置すると、矢印は行き詰まり、反対に右側の影の部分が存在感を増してきます。何か、希望が行き詰まったようにも見えてきます。



●複数の被写体の複雑な「関係」
(写真4)重なり合い、同じ方向を向いたリンゴたち。


(写真5)遠くに離れたリンゴたち。相反する矢印がついています。
どんな関係を読みとることができるでしょうか。


(写真6)A・ロブグリエとA・レネの映画「去年マリエンバードで」の1場面です。樹木と人物の影に注目。時空間のずれを表現したものと言われています。



●空間のねじれ
(写真7)一人一人の矢印が中心に集まり、仲のいいグループであることが一目で分かります。


(写真8)何か外からの刺激があったのか? 矢印はばらばらになってしまいました。


(写真9)戦場の写真は、激しくぶれていたり、ちょっとピンぼけだったり、修羅場の激しさや砲撃の音などが聞こえて来そうなものが多い中で、この写真は例外的にスタンダードで静謐です。しかし、それぞれの被写体の矢印を見ると、尋常ではありません。何かが狂っている不快感と、なぜだか分からない焦燥感が沸いてきます。


(写真上大)真眼塾のメンバーが、ある老人ホームを訪ねたときの記録です。深い孤独からか、自分の近しい人との視線が交わらず、あらぬ方向を向いています。悲しいことですが、この空間はねじれていると思わざるを得ません。これが現代の空間なのだとは思い過ごしでしょうか。(撮影・和田治子)

オリンパス OM-D E-M5 M.ズイコーデジタル 12~50ミリ

close
mail ishiguro kenji