第190回 大丈夫か? 目黒の秋刀魚まつり
9月10日号
  えー、残暑厳しい最中、秋の香りのするお噺を一席。
 目黒のサンマとはなに? 古典落語から来ていることぐらいは知っていたが、中身の話はうろ覚えだ。ではもう一度きいてみよう。
 五代目圓楽師匠も、三代目金馬師匠も、上、下の話しから入る。横棒を引いてそれぞれにトの字を書く。上のお方は横棒の下のことをご存じない、上の方のことは下々のものには分からない、という格差はげしい江戸時代のお噺である。
 殿様の毎度の食事は、生ぬるいものしか食べられなかった。遠くの台所から運んできて、お毒味があるからせっかくの料理が冷めてしまう。魚と言えば、さくら色の鯛がほとんど。というような説明があって、ある時、殿様は急に鷹狩りに出る。今の目黒から世田谷一帯は、殿様の狩り場で、鷹番の小屋があったところが現在の目黒区鷹番だそうである。急な出立で、弁当の準備ができなかった。腹を空かせたところへ、なにやら香ばしい匂い。あれは何じゃ。百姓がサンマを焼いております。それをもてえー。サンマは下々の者が食すもの。と断るが、結局、百姓から取り上げて、黒こげで灰のついたのを、欠けた皿にのせて差し出す。これは何じゃ、真っ黒で細長いではないか。殿様は、魚というものは丸く太っていて、さくら色をしているものと思っている。
 ところで、農村の目黒でなぜサンマか? という疑問には、三代目金馬師匠は、百姓が野菜ととりかえた、と説明している。当時の目黒はおいしい芋がとれ、芝浜で魚と交換したのだ。目黒川に遡上してきたサンマを農民がとっていたという説もある。
 殿様は、これは旨い! とえらく気に入ってしまった。圓楽師匠では10尾、金馬師匠では5,6本を平らげる。が、家来は、このことは内密に、と願い上げる。このような下司の食べものを差しあげたと上役に知られたら切腹ものだという。殿様は秘密を約束するが、この旨さが忘れられない。あるとき招かれた席で、サンマを所望する。頼まれた方はさあ大変、日本橋の魚河岸へ走って手に入れ、さて、この脂は下品で身体に悪いだろう、と蒸し焼きにして骨を抜き身をほぐし、金馬師匠ではつみれにして汁ものにしてしまった。これが不味い。脂を抜いてぱさぱさの、まさに出しがらである。これはどこのサンマか。日本橋の魚河岸で手に入れましてござります。当時は、日本橋は高級品のブランドだったのだが、殿は、「うーん、サンマは目黒に限る!」。おなじみの1席でした。
 目黒のサンマ祭りは2つある。いずれも1996年から始まり、今年18回目となる。9月第1週(今年は8日)、目黒駅前商店街振興組合青年部主催(品川区後援)のものと、第2週(15日)、目黒区民まつり実行委員会主催のものである。前者は岩手県宮古、後者は宮城県気仙沼から、水揚げ直後の新鮮なものを最新の輸送技術で直送してくる。期日は、それぞれの旬にあわせて決定した。どちらも産地からの提供である。
 宮古も気仙沼も2年半前の大震災の被災地である。昨年、気仙沼から出漁に出た船はたった4隻だった。今年は11隻が8月17日に出航。20日から北海道沖で操業を開始した。しかし、海には鰯ばかり。サンマを求めてさらに北へ向かっている。現地では最優先で送ると言っているそうだが、目黒駅前商店街振興組合の8日には宮古のサンマが間に合わず、北海道根室で水揚げされたものを宮古が仕入れて送るということになってしまった。15日の目黒区の方はどうか? 気仙沼も情況は同じだ。
 殿様の身体に悪いと思われていたサンマなど青魚の脂は、今では健康に欠かせないDHA として珍重されている。
 燃料費も上がり、昨年1尾100円ぐらいだったサンマは、今年は300円で、小さくて脂ののりが悪い。殿様が目黒で食べたようなおいしいものは1尾800円もする高級魚になってしまった。果たして、これからのサンマ祭りは大丈夫か?

 
写真(上) 気仙沼から氷詰めで直送されてきた秋刀魚。(昨年9月撮影)
写真(下) 炭火で焼く秋刀魚。気仙沼の塩、大根おろし、大分のかぼすでたべる。煙をよけながら、おいしい匂いを嗅いで、焼き上がりを待つのも楽しい。

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