第187回 紅白を目指す日本一ヘタな歌手 『誓い−奇蹟のシンガー』
7月25日号
  まず、原案となった濱田朝美さんの手記『日本一ヘタな歌手−紅白歌合戦に出場して死にたい』を読んでみよう。
「私は27歳の障害者です。身体障害のほかに言語傷害もあります。私には24時間の完全看護が必要です。そのために毎日24時間、約10名の介護者が交代で私を介護してくれています。
 私は歌手です。日本一下手な歌手です。
 私は毎日路上ライブをしています。母の遺志を継いで、本気で紅白歌合戦を目指しています。
 私はがんで母を亡くしました。そして地獄の施設で半年を過ごしました。
 私の身体では原因不明の難病が今も進行しています。この3年間で15キロも体重が減りました。
 私はもう長くは生きられないでしょう。でも生きたい・・・。母とのたった一つの約束を果たすまでは。
 だから毎日大好きな歌を歌い続けるのです。」
 ずいぶん長い引用となったが、冒頭の「はじめに」の全文です。ここには濱田さんの生きてきた25年間のすべてが凝縮されています。出産時の医師のミスで、頭の長い福禄寿のような子として生まれた。2歳の時父母が離婚、3歳の時祖母の死。そのころから障害が次第に顕著になってきて、幼稚園の頃には歩けなくなった。
 母は、昼間は化粧品のセールスレディ、朝夕はヤクルトレディ、さらに夜は事務仕事をしながら娘の介護をつづけるが、しつけは厳しく、時に激しく娘に当たる。「親をいじめたくて勝手に障害者になったんだろ!」
 しかし、歌を歌うとき、かつてNHKののど自慢に出たことのある母は笑顔になり、優しく「五木の子守唄」や「ブルーシャトー」を教えてくれるのだった。
 車イスの障害者は、歌手になることを決意して、オーディションを38回も受けた。路上ライブをはじめたとき、いっしょに歌ってくれた聴衆のおじさんに「日本一ヘタな歌手やけどおもろかった」と肩をたたかれた。
 母の死のあと、濱田さんは上京し、自分で介護者を探して自立する。母の厳しさは、自分が居なくなったときのことを考えて、娘に、一人で生きていく力を付けようとしていたことに気づくのだった。
 濱田さんの壮絶な生き方を通じて、知らなかった障害者と介護の実態が浮き彫りにされ、何が問題かもあきらかになってくる。
○○
 この本を読んだ土屋アンナさんは激しく胸を打たれ、涙を止めることができなかったという。『誓い−奇蹟のシンガー』(脚本・演出・音楽 甲斐智陽さん)の舞台は、音楽プロデューサー役に瀬下尚人さんを配し、藤重政孝さん、物まねのツートン青木さん、ふじきイェイ!イェイ!さんなどの出演で、ミュージカルともひと味違う感動の音楽劇となっているようである。もちろん土屋アンナさんの〈魂を揺さぶる〉歌もある。




写真(上)[誓い−奇蹟のシンガー]稽古風景。右から2人目、瀬下尚人さん、その横ツートン青木さん
写真(中)土屋アンナさん(制作発表会にて)
写真(下)原案となった「日本一ヘタな歌手−紅白歌合戦に出場して死にたい」光文社刊

オリンパス OM-D E-M5 M.ズイコーデジタル 12~50ミリ

★ この稿、25日発行のあと、28日に、突然、上演中止となりました。その経過は、TVの芸能ニュースなどが詳しいので、そちらに譲ることにします。



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