第185回 イスタンブルは永遠に
6月25日号
  イスタンブルは吹雪だった。黒海からボスボラス海峡を下って、ロシアの冬将軍がやってくるのだ。ぼくらは、日本を発ってからすでに2ヶ月、長い旅の途中だった。ヨーロッパから北アフリカを横断してイタリアを北上し、旧ユーゴの国々を走り続けたトヨタ車は、とうとうイスタンブルで煙を吐いて止まってしまった。ガレージの話では部品の調達に10日を要する。
 思いがけない「長期休暇」だった。ぼくらはガラタ橋のレストランへでかけ、新鮮な海の幸をぎっしり詰め込んだ飾り窓を眺めた。ずっと肉料理ばかりの旅だったから、今日の夕食は絶対これだ。油でべたべた炒めたやつではなく、パリッとした塩焼で。手ぶり身ぶりでコックに頼んでみよう!
 さっきから僕たちの方をずっと見ながら後を付けてきていた初老の男がいた。黒ラシャの厚ぼったいコート、黒い帽子。目が合うと近づいてきた。用心して身構える僕たちに、「言葉のことで手伝ってあげましょう。ついてきなさい」と流ちょうな日本語で言い、さっさと店へ入っていく。僕たちをテーブルに着かせて慣れた様子でキッチンへ向かった。
 しばらくして、大きな皿を捧げ持った白服のボーイを従えて意気揚々と出てきた。
 ぼくらは、塩焼きのイボガレイを前に、スパークリングの白ワインをあけた。
 トルコの老人は、せきを切ったようにしゃべり始めた。かつて日本の女性と結婚して函館に住んでいたこと。日本にいたのは十年。しかし愛する妻に先立たれて、失意の果てに故郷のイスタンブルに帰って来た…。それからまた十年・・・。日本での決して楽ではなかった生活と美しかった日本人妻のことが彼の思い出の全部だった。
「時々、どうしようもなく日本語をきき、日本語を話したくなるんです」と彼ははにかんでいうのたった。「その時、このガラタ橋へ来ます。魚屋の前にいれば日本人に逢うことが出来ます。必ず日本人がいて、好きなだけ日本語をきいて話せるんです」。そして、得意満面にイボガレイの皿を持ちあげ「例外なく、塩だけで焼く魚料理をコックに頬んであげるんです」。
 これがぼくのイスタンブル初体験だった。
 ビサンティウムからコンスタンティノープル、さらにイスタンブルと名を変えてきた。キリスト教の東ローマ帝国の首都からイスラムのオスマン帝国の首都へ、さらに独自の言語を持ったトルコ共和国へ変貌してきた。いずれも「長い年月にわたって周辺の世界に影響を与え続けてきた一文明・・・」(塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」)として、である。
 イスタンブルは人口1300万。世界遺産の固まりの都市へ、世界中から年間700万以上の観光客が訪れる。
 いま、イスラム圏最初のオリンピック開催をめぐって世界中が注目している。  イスタンブルは大好きな都会です。




写真(大) この情景はいつまでも変わらない。
写真(小上) 日暮れと共にモスクから流れるコーランの声。ラマダンの1日が終わり、いっせいに食卓につく。
写真(小中) 新鮮な魚介類。イボガレイは特においしい。
写真(小下) スィーツの逸品ピシュマニェ。「綿毛のように細い繊維でできていて材料は砂糖ですが、作り方は謎です」(共立女子大学名誉教授・高橋節子さん)

ハッセルブラッド 500C プラナー80ミリ
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