第181回 4つに組んだ正面真剣勝負 三国連太郎と今村昌平監
4月25日号
  三国さんの母親は、16歳で軍人の家へ女中奉公に出され、お腹に赤ちゃんを宿しながら奉公先を追い出された。たまたま駅で知り合った電気工事の渡り職人と結婚して、7ヶ月目に三国さんが生まれた。
 この養父は差別部落の出身だった。三国さんは、このことを明かし、実母より養父の方が好きだといっている。
 中学を2年で中退。下田港から密航で青島に渡り、釜山で弁当売りをしたこともある。
 20歳。召集令状がきた時、「絶対死にたくない、殺したくない」と、無謀にも逃亡を図る。が、韓国へ渡る寸前に、唐津港で憲兵に捕まってしまう。母に出した手紙を、村八分を怖れた母が憲兵に差し出したのだという。
 三国さんは前線へ送られる。千数百人の部隊で生きて帰ったのは20〜30人というから、最激戦地へやられたのだろう。
 だが、三国さんは直前に熱病に罹り、意識不明のまま10日間むしろに包まれて工場の隅に放置されていた。焼き場に運ばれて順番がきてむしろをはがされて、目が覚めたのだという。
 どこまで本当の話なのか眉に唾をつけたくなるが、三国連太郎という際だって魅力的な、人間の底知れぬ悪魔と善魔を表現できるたぐい希な俳優の背景としては、信じたくなるのである。
 嘘のような話はまだまだ続く。終戦後、何人もの職と女を綱渡りしていたとき、東京・東銀座で、松竹のプロデューサーにスカウトされて、木下恵介監督の「善魔」の主役を演じることになる。岡田英治がレッドパージで追放された代役だった。全くの素人で、何十回とNGを繰り返してフイルムを無駄にするので、「三国3千フイート」とあだ名された。カメラの前であまりにも緊張するから、「ヨーイ・スタート」の代わりに、木下監督は「ワンチャノ・ハイ」と掛け声をかけたという。
 1968年、今村昌平監督の「神々の深き欲望」では、石垣島での2年に及ぶ過酷な撮影の最中、主演の三国さんは俳優組合を作って今村プロと対立し、監督を苦しめた。以来、今村さんは、俳優不信に陥り、劇映画から遠ざかる1因となった。映画は毎日映画コンクール日本映画大賞などを取り、評価は高かったが、制作費の借金で今村プロは破綻寸前となった。
 1979年、今村監督は10年ぶりの劇映画に入る。「復讐するは我にあり」である。キャスティング表を見た助監督の武重邦夫さんは、「あの三国さんを使うんですか」と驚いて聞きただした。殺人狂を演ずる緒方拳さんの父親役である。今村さんの答えは、 「ああ。日本の俳優でね、あの役は連ちゃんしかおらんのだよ。真面目なクリスチャンでありながら息子の女房と関係を持つ。曖昧さと複雑さをリアルに演じられる役者は連ちゃんしかいない。これは、相手が好き嫌いの問題じゃないのだよ」。今村さんは少し照れたように笑った・・・(武重邦夫「愚行の旅」より)
 そのロケ先の別府・鉄輪温泉の宿舎で、三国さんは原稿用紙を手に、今村監督に話していた。もう一方の手には脚本。話というより迫っていた。このシーンをこのように直したいのだが、というのである。
 今村映画の脚本は、並のホンとは違う。調べに調べ練りに練ったホンだ。(脚本は馬場当)そのホンにアカを入れるなんて正気の沙汰とも思えなかった。真剣勝負の正面からの闘い、そのものだった。
 そのころから三国さんは親鸞に傾倒し、熱心な浄土真宗の信者となる。1986年、自ら「親鸞・白い道」を製作・監督してカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞するが、多額の借金が残り、債務に追われることになる。三国さんが、シリアスな大作からコメディまで、硬軟を問わず180本の映画に出たのは、このあたりのことがあったからかも知れない。
「復讐するは・・・」から20年後の1998年。三国さんは今村映画3度目の主役として登場した。「カンゾー先生」である。
 瀬戸内海に面して「日本のエーゲ海」といわれる温暖な牛窓の医院の2階。カンゾー先生の三国さんをアップで撮る長いシーン。セリフが途中で引っかかる。NG。どうやら岡山弁を意識し過ぎているらしい。もう一度NG。もう一度。もう一度。もう一度・・・
 トラックNo.27、28、とマイクに吹き込む録音技師の声が震えてきた。リテーク30回を過ぎると、さすがに、これは異常事態だ。もちろんフイルムもテープも回っているのである。「3千フイート」どころではない。リテーク35で、この日は撮影中止となった。
 この時、ぼくは現場にいた。恐怖の1日、いや、2日間だった。現場は2日間凍りついた。
 翌日も同じ現場から始まった。何が起こっているか、もうスタッフは分かっていた。どうしても1カットで撮らなければならないシーンとは思えなかった。長回しが無理なら、カットを割ればいいのである。長いセリフも2回に分ければなんということもない。しかし、今村監督はそうしなかった。
 リテーク100で、撮影はストップした。三国さんは出演を辞退し翌日牛窓を去って行った。主役は柄本明さんに変わった。問題のシーンは、カットを割っている。
 今村監督は、昼食のあと港に面したコーヒー店で、「釣りバカのせいか、アドリブのくせが出る」と我慢できない理由をそれとなく語ってくれたが、三国さんはアドリブで演じたわけではない。監督は「釣りバカ」の、のんびりとした印象が抜けていないと思ったのか、麻生久美子さんを相手にして、年齢が高すぎる懸念を感じたのか。・・・監督は、色気のあるまなざしと、よく響きながらバイブレーションする声と、圧倒的な存在感を失うことになった。
 降板劇から1ヶ月後、雑誌で三国夫妻を撮影する仕事があった。さすがに、どう対応したらいいか悩んだが、三国さんは、牛窓のことにはまったく触れず、何事もなかったかのように、ぼくがその場にいなかったかのように、ただ丁寧に撮影に応じてくれた。
「思いを後に残さない」。瞬間に生きる仏教の教えを見事体現しているのかも知れない、と思った。

「復讐するは我にあり」のラスト近く、息子の散骨のために山へ登る三国さんと倍賞さんの会話。
「お義父さんはずるか人ですたい」
「・・・そうかも知れん」
「私はずるか人が好きですたい」
 今村監督もずるい人が好きだった。
 華やかで奥深い希有な俳優が逝った。今村監督もすでに亡い。ひときわ寂しい。

写真 倍賞美津子さんと。『復讐するは我にあり』(1979年)より 撮影・石黒健治(写真提供/松竹)
ニコンSP ニッコール50ミリ




『あの頃映画 松竹DVDコレクション 復讐するは我にあり』DVD発売中 ¥2,940(税込)
発売・ 販売元:松竹(c)1979 松竹株式会社/株式会社今村プロダクション ジャケット撮影/石黒健治

close
mail ishiguro kenji