第174回 首里城と普天間
1月10日号
  あけましておめでとうございます。
 本年も沖縄から、新年のご挨拶をさせていただきます。

 昨年の夏、石垣島の帰りに、久しぶりで沖縄本島を訪ねました。いつも宮古島や八重山へ直行してしまうので、琉球弧の中心の本島がつい素通りになってしまうのでした。
 何年ぶりかの国際通り、普天間基地周辺、そして辺野古。修復なった首里城もまだ見ていないので、時間をやりくりして見学に出かけました。一巡して、「異様なものを見た」気がしながら、暑さと疲れでぼんやりバス停にいると、タクシーがすーっと寄ってきて、「国際通りへ行くなら半額でいいですよ」。那覇はタクシーが安い。安いと言うことはドライバーの給料も安いんだな、と思いつつ、つい乗ってしまうのですが、半額とは! 
 ドライバーは「お客さん、首里城は日本の城とは全然違ったでしょう」と話しかけてきた。「琉球王朝のお城だからね。中国の紫禁城に似ているそうですよ」とうんちくを披露した。「玉座の上の『中山世土』という扁額があったでしょう。あれは清国の皇帝から贈られたものなんですよ」。でも、「城内には御嶽が10カ所もあるんですよ。ここは沖縄だからね!」。

 ホテルの近くで信号待ちの時、ドライバーは横の路地を指して、のみに行くならこの奥に安くておいしい店があると教えてくれた。
 夜、シャワーを浴びてから教えられた〈むが〉という沖縄料理の店へ出かけた。いらっしゃい、と迎えてくれたのはあのドライバーだった。小料理屋の店員に変身していた。
 豆腐ようを肴に泡盛をやりながら、常連らしい客とのやりとりをきいていると、昼に首里城から帰りの客を乗せた話、つまり僕のことが話題になっていたようだ。沖縄の文化は日本よりも中国に近いことを大半のナイチャー(本土人)は知らないらしい、ということ。基地のこともオスプレーのこともナイチャーは知らない。
「オスプレー村の村長はアメリカだから日本語がわからんのよ」と客はいい、僕に向かって「ねえ、原発ムラもTPPムラも村長はアメリカだから、どうにもならんのと違う?」と言った。そして我らの夢は「沖縄独立」だ、というのだった。
 突然、客の一人が僕を指さして「お客さん、ひどく焼けていますね」と笑い出した。「鼻の頭が真っ赤かですよ」。「ちょっと魚釣りに」と僕は言った。実は、魚釣り島沖の慰霊祭の船に同乗して島を撮影した帰りだった。石垣港を夜8時に出港して夜明けに着き、帰りは10時間かけてたっぷり太陽を浴びた。
「えっ、尖閣へ行ったんですか? 」2人は、両方から握手を求めてきた。いきなり英雄にされた。他の客も「バンザーイ」「上陸したんですか」と声をかけてきた。「まさか、写真を撮っただけ」。なぁーんだ、とみなが一斉に引くのが分かった。
 沖縄は中国の文化圏だといい、独立だといい、尖閣バンザイとはあまりに矛盾しているように思われた。それが沖縄の「いま」なのか。客が言った。「夢を持たんことです。夢なんか持ったら罰せられる。しかし・・・夢ば持たんければ、生きる値打ちがなか」


写真(大) 首里城ウナー(内庭)。正殿、北殿、南殿が取り囲んでいる。
写真(小) 那覇の竜宮通り社交街にて


オリンパス OM-D E-M5  ズイコーデジタル 12~50ミリ


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