第172回 反骨の画家・中村正義 映画「父をめぐる旅」を巡って
12月10日号
  映画の終わり近く、中村正義の画家仲間の田島征三さんが、伊豆の自分のアトリエの中央で、回りをぐるりと見渡す仕草をして、言うのである。「名古屋市美術館のメインの部屋に正義とピカソとステラの絵が並んでいる、勝っているんだよ! 」
 ピカソに負けていない、のではない、「勝っている」のである。これをきいている映画の中の倫子さんは、ほんとうに嬉しそうだった。そして、そのシーンを見ている満員の客席にも嬉しい気分が満ちていくのだった。
 中村正義。愛知県豊橋市出身、日展という日本で最も権威主義の牙城に22歳で初入選、36歳で審査員になった天才画家。1950年当時は、日展に入選すれば1流の画家と認められ、審査員ともなれば絵の値段も横綱クラスだ。しかし、正義はそのままエリートの地位に安住できない人だった。正義の代表作に「舞妓シリーズ」があるが、50年代に発表した「赤い舞妓」が問題になった。日展の基準では舞妓はすべて着飾った姿で描かれるが、正義の描いたのは赤い下着の舞妓だった。さらに次の「黒い舞妓」は、下着をはだけたヌードだった。日展はびっくり仰天、物議を醸した。そういう体質が正義にとって我慢ができなかったことは容易に想像がつく。審査のトラブルもあって、日展のボスであり師でもある中村岳陵から離反して日展を脱退する。
 反逆者の過酷な運命が待っていた。画壇から干され、個展を開くこともままならない。追い打ちをかけるように直腸がんの宣告を受ける。しかし正義は退くことを知らず、小林正樹監督の映画「怪談」のための大作「源平海戦絵巻」(国立近代美術館蔵)などを制作。そして、最晩年は「東京展市民会議」を立ち上げ、事務局長として「東京展」実現のために全体力全財力をつぎ込む。開催日は、日展と同じ日にぶつけた。すべては日展に象徴される権威主義を粉砕するためだった。東京展の会議には、岡本太郎、針生一郎など豪華メンバーが登場して異常な盛り上げを見せる。「東京展」は成功したが、正義は2年後の75年4月、肺がんのため死去。52歳だった。
 正義の愛娘倫子(のりこ)さんは、父を探す旅に出る。映画はその記録である。父は何を求めていたのか。父を生き急がせたのは何だったのか。父の絵の背後にあるあの深い闇は何なのか? まず、正義の風景画に描かれた実在の場所を探す。正義が画架を据えた場所が見つかる。絵とそっくりだ。がそれだけの話だ。父の出生の地や幼なじみの友を訪ねた。画家仲間にも会って話を聞いた・・・。
 映画は実に丁寧に作られていて、さすが今村昌平監督の助手を長い間つとめた武重邦夫監督の作品だけのことはある。(近藤正典と共同監督)
 秋の深い一日、「中村正義の美術館」を訪ねたのは、たった一つききたいことがあったからだった。倫子さんは、映画を終えて、父の何かを探し当てたのだろうか?
 正義が愛した庭を見ながら、倫子さんはあたりまえのように答えるのだった。「映画の完成まで3年。でも、まだまだ旅の途中です」。


写真(上) 中村倫子さんと、舞妓の後ろに自画像が描かれている名作「うしろに立っている私」
写真(下) 中村正義の美術館(館長中村倫子)「正義が残したたくさんの作品の、ほんの1部でもいいから見ていただきたくて、自宅だった建物をそのままに・・・」

オリンパス OM-D E-M5  ズイコーデジタル 12~50ミリ




●映画「父をめぐる旅」 2013年1月5日より、恵比寿・東京都写真美術館ホールにて、1月12日より、新百合ヶ丘・川崎市アートセンターにて上映。
●中村正義の美術館 川崎市麻生区細山7−2−8
開館日(春期)3・4・5月、(秋期)9・10・11月、金・土・日と祝日(入館料500円、学生400円、小中学生200円、65歳以上300円)

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