第170回 北前船の歴史街道 富山・岩瀬大町通りに河上師を訪ねる@
11月10日号
  東京から3時間20数分、JR富山駅の北口を出ると、目の前に2両連結のかわいい電車が待っている。一度は乗ってみたい世田谷線の電車のような、夢のある電車だ。その名もライトレール。
 北口は富山駅の裏口だが、どうもおかしい。北へ向かう電車は富山湾へ通じている。かつては富山港は交易で栄え、富と文化の集積地で、こちらが表玄関だったはずだ。人、ものの輸送が海運から陸運に変わった時代の流れが表と裏を変えたのか。
 ライトレールは、平成18年にJR富山港線を第3セクターが引き継いだ。単線で、駅は屋根のあるプラットホームだけ。風よけの壁には沿線の案内と企業の紹介がデザインされて描かれている。
 市街電車がいつの間にか郊外を走る。東岩瀬駅まで約20分。200円を払って降りる。斜めにさす秋の陽光がまぶしい。海が近いせいか、明るい土地柄のようだ。パソコンからプリントした地図を見ながら岩瀬大町通りを目指す。
 きれいな通りへ出た。品良く整備された映画のセットのような通りだ。
 どうして富山のこんなところを訪ねることになったのか。実は、この欄でもたびたびお世話になっている浄土真宗・琳空山慶集寺の住職・河上師を訪ねるのが主目的だった。
 東日本大震災のあと、筆者自身どう対応していいのか、人の生き方をどう考えたらいいのか分からなくなったとき、共に考えてくれたのが河上師だった。TVの《いっしょだよ、一人じゃない》のキャンペーンに対して、《人はみな独りです》と明快に応えてくれたことを忘れない。また、支援やチャリティについて、お腹のすいた人を前に、「私を食べてください」と火の中に身を投げたウサギの話から、慈悲と布施のこころを教えてくれたのだった。
 河上師が岩瀬大町通りに作った、新しいコンセプトの新しいスペース「琳空館」を見たいと思った。ネットで確かめた地図では、それらしい建物がどうしても見つからない。途方にくれた。
 迷子ついでに、北前船廻船問屋「森家」に入ってしまった。國指定重要文化財で岩瀬の観光スポットである。森家は代々、四十物屋仙右衛門と称したが、明治以後森を名乗った、とパンフレットにある。廻船問屋は、ただの輸送業ではなく自ら仕入れ買い付けて販売した巨大物流システムだった。一世を風靡した海商の典型的な住宅らしく、広大で贅をこらしているが、日本各地にあるたとえば北海道の鰊御殿とか五島列島の鯨御殿とかに比べて、繊細でシャイな作りに思える。家紋と竜虎のレリーフのある道具倉の扉の中には、陶器をはじめ当時のお宝がぎっしり。どんな貴重な逸品が眠っているか、「なんでも鑑定団」もよだれを流すにちがいない。
 気になったのは、廻船問屋の近くには海があるはずだが、どこにも見えないことだった。海と港はどこへいってしまったのか。疑問のまま、琳空館を案内の人に尋ねるとなんと森家の正面にあった。(以下次号)




写真(上) 國指定重要文化財・北前船廻船問屋「森家」のオイと呼ばれる居間。セイロ組みの木組みが美しい。(入館料100円)
写真(中) 良く整備された岩瀬大町通りは、北前船廻船問屋のあるかつての街道だ。貴重な観光資源だが通りは閑散としていた。
写真(下) 琳空山慶集寺の住職・河上朋弘師(琳空館にて)

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