第167回 2兆5千億回のカシャ 新・写真作法@
9月25日号
  デジタルカメラやケイタイで撮られている写真は、世界中でどれくらいの数になるのでしょうか?
 フランスの精神科医で映像の評論でも有名なジョルジュ・ティスロンは、1996年に出版された『明るい部屋の謎』の中で、年間「750億回のカシャ」について書いています。当時はまだフイルムの時代で、この数字もフイルムの販売数から換算したものです。
 デジタルカメラは1995年、日本ではカシオを先頭に各メーカーから発売されました。キャノンのプロ用1眼レフ「EOS Des」は130万画素198万円という高額で、普及にはほど遠いものでした。一方、携帯電話にカメラがついたのは1999年、京セラ製が最初でした。
『明るい部屋の謎』から16年、世界のケイタイ普及率は2011年には90%を超え、デジタルカメラも飛躍的に進化しました。世界人口約70億の90%の人が1日1回シャッターを押せば、1年間の「カシャ」は2兆3千億回。プロを含めたデジタルカメラの「カシャ」を加えれば2兆5千億回にもなるでしょう。いま、カメラは連写機能が充実して、メモリーも高速・大容量の時代ですから、この数字は極めて控えめな数字だと思います。
 20世紀は「映像の世紀」といわれました。21世紀もその流れはますます盛んになって続いています。が、「2兆5千億回のカシャ」は映像の大衆化に過ぎないだけ、とは思われません。「映像」の意味や役割がもはや20世紀のままであるはずもなく、日々変わりつつありことも事実です。
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 「カシャ」は、時間を停止させることだ、とティスロンは書きます。「・・・あらゆることがかくも早く過ぎ去っていく。しかも楽しい瞬間こそ!・・・」。カシャは、過ぎ去っていく瞬間を〈凍結させる〉ためではない。むしろ逆なのだ、と。そして、「観光客がバスから降りて〈写真撮影〉をするや、ろくに写真に撮った風景を眺めもしないですぐに次の場所へと出発する。・・・」誰でも経験のあることですが、それは、カメラという箱に、記憶をとりあえず投げ込んでおく行為だというのです。もちろん、あとで箱から取り出してゆっくり見るためです。
 1枚の写真から千の記憶がよみがえります。「写真を撮ることは、必ずしも常に、死体に防腐処理を施すことに似ているわけではない。将来花が開くことを期待しながら種を蒔くことにも似ているのである。」さらに、
「私たちが撮った写真をあるがままに受け入れること、それは世界に付き添う行為となる。そのとき、写真を撮ることは、まるで花々を摘み集めることに似たものになる。そうした行為を私たちは、世界の美しさに賛辞を捧げるという幸福のためにだけ行うのである。」 ティスロンの世界は美しい。しかし、21世紀の写真に待っているのはいくつもの困難だ。それは、E・ウェストンの言葉にあるように、「レンズの眼は肉眼より良くものを見る」からかも知れません。
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 「新・写真作法」は、7月にスタートしたワークショップ「真眼塾」のテキストをもとに書いています。今後、不定期でご紹介します。

写真:「石黒健治真眼塾」には、現役のカメラマン、イラストレーター、webデザイナー、編集者なども集まってくれた。みな写真が好きで、写真の力を信じて、写真をもういちど見直して見ようという人たちだ。

オリンパス OM-D E-M5  ズイコーデジタル 12~50ミリ


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