第164回 【遠景のベトナム・ホーチミンの近景】@ ベトナム戦争は映画の宝庫だった。
8月10日号
  渋谷つたやの5階の検索用コンピュータに『ディア・ハンター』と打ち込む。在庫あり、と出る。棚番のことがよく分からず、監督別=マイケル・チミノ、俳優別=ロバート・デ・ニーロあたりに見当を付けて探すが、ない。店の女性にお願いすると、彼女も店内をあちこち飛び回って、「あ、ここです」と示したのは、『戦争ドラマ』のコーナーだった。その一角には、F・コッポラ監督の『地獄の黙示録』や、『プラトーン』などが並んでいる。いずれもベトナム戦争を題材にした名作、問題作だ。
 ベトナム戦争は、1965年2月の空爆から始まった。その直後から、数多くの映画が制作された。その数主なものだけで80本を超える。60年代には『ベトナムから遠く離れて』(フランス)、『これがベトナム戦争だ』(日本)など。
 アメリカ軍が撤退(73年完了)した70年代には、筆者が探していた『ディア・ハンター』(第51回アカデミー賞)や『地獄の黙示録』(ゴールデン・グローブ監督賞)など。
 戦争は終わったが、映画は、80年代になって最も多く、全作品の半数近くがこの年代に制作された。「俺たちはここでミンチにされる」と米兵が言ったという『ハンバーガー・ヒル』。『プラトーン』も87年の作品だ。94年には、『フォレスト・ガンプ』がアカデミー作品賞を取った。
 ベトナム戦争は、75年にサイゴンが陥落し、結局はアメリカの敗戦に終わったが、破壊され、殺され、苦しんだのはベトナムだった。アメリカにとっても、戦争の後遺症は深く長く続いた。
 戦争は、勝ち負けに関係なく人間を破壊していく。181分の超大作『ディア・ハンター』は、そういう映画だった。
 ロシア系の移民の町の仲のいい3人の青年が招集される。ベトナムの最前線で1人は脚を失い、1人は撤退による帰国を拒否して、陥落寸前のサイゴンの片隅でロシアン・ルーレットのプレイヤーとなって毎夜命を晒している。そして、連れ戻しに行ったロバート・デ・ニーロの目の前で・・・。
 当時、こんな恐ろしい映画があるか、と思ったものだった。
 どうして30年前の映画を今ごろ思い出してつたやへ行ったかといえば、先月、安いツアーでホーチミンを訪れたからだ。行ってみて、なぜかまだ街角に残っている戦後の強い匂いを嗅いだからだった。
 サイゴン陥落、ホーチミンと名を変えてからまもなく40年になろうとしているこの都市。1986年、ドイモイ政策で共産党支配のまま市場経済に移行してからでも25年を過ぎようとしているにもかかわらず、だ。


写真(大) 街角で
写真(小) バイクの行進

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