第155回 絆って何? 人はみな、ひとりでは生きていけない
3月10日号
  東日本大震災から1年。
 いまでも、あの大津波の映像を見ると、心臓が音をたて、息がつまる。
 もはや1年! というべきか、まだ1年? というべきか。
 今度の大災害をとりわけ複雑にしているのは、もちろん原発の問題だ。自然災害はあきらめきれないが、あきらめるしかない。あきらめて前へ進むしかない。しかし放射能の拡散については、あきらめることが出来ない。前へ進めない。
 1000年に一度という大災害に、僕たちも何かをしなければならないと感じ、事実それぞれに何かをした。支援金を送った人も被災地へ炊き出しに行った人も数多い。ガレキの片付け、避難所の手伝いのボランティア。励ましの歌を歌いに行った歌手。笑いを届けた芸能人。
 3月11日の午後2時46分から、テレビは一切のコマーシャルを止めて、ACジャパン(旧公共広告機構)のCM一本槍となった。「一人じゃない」「思いやりの気持ち」「いまわたしにできること」「日本のちからを信じてる」・・・。
 決められたCM枠を埋めるために繰り返されるACのCMにブーイングが殺到したらしいが、金子みすゞの詩集はブームになった。
 大災害でなくなった人は行方不明を合わせて1万9千125人。一方、自殺者は毎年3万人を超す。誤解を恐れずに言えば、日本では毎年東日本大震災の上をいく大津波に襲われているのだ。
 生きにくい時代の真っただ中で、生まれるときも死ぬときも人間はみな一人だが、生きていくときはひとりでは生きていけない。そのことを知ったのだ。当たり前のことを、忘れていた。
 僕たちは1年前の3月から、価値観が大きく変わっていくことに気づいたのだ。
 2011年の「今年の漢字」は《絆》だった。絆の大切さを知った1年だった。《絆》ってなんだろう? 絆は牛や馬の足を縛ってつなぎ止める綱のことだという。転じて、親子、夫婦、兄弟など、切っても切れない関係のこと。要するに自由に出来ない、させない「束縛」のことだ。現代社会では時代錯誤の遺物のようにもて余していたものだ。
 先月中ごろ、筆者は秋田・西木町にいた。吹雪の中で、半ば偶然に「どんど焼き」を見た。旧暦の小正月に五穀豊穣を祈って行われる行事である。真っ白な雪の世界に炎が燃えさかる美しい風物詩なのだが、炎の前に置かれた《絆》の字を切り抜いたボードが、特別に目立っていた。
 マイナス7度の雪の中を、村中の人が集まって、凍える手をこすり合わせながら煮込みうどんを食べ、どんど焼きの火を囲む。
 寒くて暖かい《村の絆》をみた。


写真(上) 「どんど焼き」は、五穀豊饒、家内安全を願う旧歴の小正月の行事だ
写真(下) 煮込みうどんもおいしく出来た

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