第151回 初春やかすな希望の夢を見る
1月10日号
 「昔、男の子と女の子がその島に出現したが、二人は裸体での恥じる心を知らず、毎日天から降ってくる餅をたべて、無邪気に暮らしていた。餅の食べ残しを貯えるという分別が出てくると、いつしか餅の供給は止まってしまった。二人は食うために働かなければならず、朝夕、海浜で貝をあさって、いのちをつないだ。あるとき、海馬(ザンの魚=ルビ=いお)が交尾するのを見て、男女の道を知った。そこでようやく裸体を恥ずかしいと思うようになり、クバの葉で恥部を隠した。沖縄三十六島の住民はこの二人の子孫である。」
 谷川健一先生の「青と白の幻想」の中の一節です。アダムとイブの話にあまりにも似ている事に驚きますが、いまでも「古宇利島ではこの話は生きている。海神祭のとき、天から降ってくる餅を長い竿の先で突いて取る行事が今もっておこなわれている。」キリスト教の説話として入ってきたのではない、と先生は書いておられます。
 沖縄は、海も人も伝説も美しい。しかし、新しい年の最も困難で重い課題がのしかかっています。
  昨年3月10日、アメリカのケビン・メア日本部長が「沖縄の人はゆすりの名人」といって更迭されました。翌日の大災害で騒ぎはうやむやになったが、今度は田中聡沖縄防衛局長が「犯す前に言いますか」といって、民意を逆なでした。
 沖縄には「物呉いしど我御主(るび=ムヌクイーシド ワーウシュー)」という言葉がある。と指摘するのは、佐野真一さんです。「ものをくれる人こそわが主人」の意です。(「沖縄−誰にも書かれたくなかった戦後史」)
 大宅壮一さんは、沖縄住民は「歴史的地理的にいって島を支配するときの権力に対して常に従順にならざるをえない。(中略)・・・主人をハラの底で恨みながら、最大限の忠誠心を示すという矛盾がこの土地に根を下ろしているのだ」と書きました。
 普天間移転先の名護市の一人あたりの平均所得は、全国最下位の沖縄県の平均よりさらに70万低い180万円です。「今、一番恐ろしいシナリオは、海兵隊が全部グアムへ出て行く事です。沖縄が急速に沈没する可能性があります」。(沖縄在住の記者の話)
 日本全体の0.6%の土地に、米軍施設の75%が集中している沖縄。
 危険と経済の矛盾は、実は、福島をはじめ全国の原発立地と同じものです。どの立地も、経済振興のまえに「ものを呉れる人こそわが主人」として来たのです。そしてさらに、私たちの99%が1%の富裕層に対して従順にならざるを得ない格差社会の現実があります。
 2012年度沖縄振興に関する交付金は2937億円。前年度の27.6%増ですが、1連のあまりにも傲慢な発言に沖縄の人は、「辺野古復帰、怒、怒、怒」(沖縄タイムス)と応じて、従順だけではないことを示しました。「反対運動が先鋭化して、制圧のため機動隊を入れて流血の事態まで招いていいのか」と現地記者はいいます。
 今私たちに必要なことは、少しでもいい方へ、とかすかな希望の夢を持ち続けることだと思います。

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