第150回 紫式部と光の君と藤原道長 光源氏のモデル道長は糖尿病だった
12月25日号
  上映中の「源氏物語−千年の謎」は、道長が権力にものを言わせて紫式部を手ごめにするところから始まります。そして、式部に物語を書くように迫ります。娘彰子をときの帝に入内させる手だてとして、・・・このころの草紙はいまならマスコミ的な情報操作の道具だったのでしょうか、超・貴重品だった紙、硯、墨を与え、同時に宮廷の内部情報も伝え・・・、光の君が誕生したのです。
「いずれの御ときにか・・・」と書き始められたこの物語。作者は一人ではないという説もあります。モデルも複数いて、道長も主要な一人だった、といわれています。
 映画は、紫式部x光源氏x藤原道長さらに阿部晴明までが絡んで、現実と架空の人物が入り乱れる幻想を描いていく、それが狙いだったのでしょう。
 道長は東山紀之さんが演じています。光の君は生田斗真さん。どちらが主役なの? という疑問も沸きますが、これは両主役という布陣なのでしょう。紫式部は中谷美紀さん。
 藤原時代の膨大な系図「尊卑分脈」には、「紫式部、道長妾」と出てきますから、彼女が道長の何人かの愛人の一人だったことは確かでしょう。「紫式部日記」には、道長の誘いを断ったという記述もありますが、同時に庭のおみなえしをひと枝折って式部の部屋へ来たことも出てきます。(この日記も別人の筆による説もある)。また、東山さんは体脂肪7%でアスリートも驚く筋肉質だそうですが、道長はだいぶ違うようです。
 現代よりも格差の激しい時代でした。飢えた百姓を尻目に、食べものは贅を極め、忠国という大食らいの男を召し抱えて飯6升を食わせたりしました。藤原実資は日記「小右記」に、「装束や舟の華美、狂乱の極み。舶来の絹を五重にも六重にも・・・」と書きます。絵巻物を見ても、この時代の宮中の衣装は、映画よりもずっとカラフルで豪華絢爛だったような気がします。
「小右記」には、「道長病ム」の文字が頻繁に出てきます。ェ仁2年5月「三条天皇のたたり」「体力の衰えの甚だしきを憂う」。しきりに水を飲むようになり、12月には「視力の日々に喪うるを語る」「目不見事日々増、不可対面於人(目が見えず人に会っても誰だか分からない)」。翌3年3月、「道長の邪気顕れて・・・」。道長は突然剃髪して出家します。54才でした。
 医師で作家の篠田達明さんは、これらの記述や肖像画を見て、道長は栄養過剰から来る重度の糖尿病だった、と診断されています。
 亡き母の面影を求めて、あまたの女性をさまよった光源氏は、母に生き写しの最愛の紫の上を失い、52才で出家します。
 道長は入道となって権力を持ち続けましたが、光の君は静かに物語から消えていきました。しかし、日本の女性たちの心のひだを千年にわたって揺さぶり続けているのです。


写真(上) 藤原道長と紫式部
写真(下) 紫の上 いずれも「百段階段x源氏物語展」より。

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