第147回 「心地良き國」に微笑みを バンコックと三島由起夫
11月10日号
 「バンコックの名は、アユタヤ王朝時代、ここに橄欖樹(かんらんじゅ)が多かったところから、バーン(町)コーク(藍橄)と名付けられたのにはじまるが、古名は又、天使都(クルン・テープ)と謂った。海抜二米に満たない町の交通は、すべて運河にたよっている。(中略)運河と云っても道を築くために土盛りをすれば掘ったところがすなわち川になる。」
 三島由紀夫の最後の作品、「豊饒の海」第3巻『暁の寺』の冒頭近い一節である。68年9月から書かれ、完結は70年4月。あの激越な割腹自刃の約半年前、自らの死の予言とも遺書ともいわれる作品である。
 三島氏は、67年9月からインドを旅行した。このときの体験が激烈に作品にあふれてるが、帰途立ち寄ったタイ・バンコクにもまた、ベナレスで見た衝撃とは別の愛着が色濃く描き出されている。
 バンコクの正式名称は、「クルング・テープ・ブラ・マハナコーン・アーモン・ラタナコーシン・マヒンタラー・シアユタヤー・マフマ・ポップノッパラー・ラチャタニー・プリロム」で、クルング・テープは『首都』、プリロムは『心地良き』の意味だという、こんなことまで三島氏は書いている。
「−−バンコックが東洋のヴェニスと呼ばれるのは、結構も規模も比較にならぬこの二つの都市の、外見上の対比に拠ったものではあるまい。それはひとつには無数の運河による水上交通と、二つにはいずれも寺院の数が多いからである。・・・」
 小説では、主人公の本多も三島氏自身もオリエンタル・ホテルに泊まり、朝早く起きて対岸のワット・アルン(暁の寺)を訪問する。
「メナム河の赤土色の映った凄い代赭色の朝焼の中に、その塔はかがやく投影を落として、・・・・」。『暁の寺』が書かれて40年が過ぎて、バンコクもアユタヤ地方も様変わりをしたが、メナム河(チャオプラヤー)は、滔々と流れ続けてきた。
 気候も人びとも穏やかな「心地良き」國に魅せられた人は多い。特に日本人は、失なわれた心のふるさとの思いがあるのかも知れない。しかし、もともと「海抜二メートルにも満たない」水の都だ。小さな洪水は毎年のことだった。しかし、今年は規模が桁外れで、長引いている。日本の企業も500社近くが操業不能になり、数万人が被災している。1日も早く収束して、「心地良き」國に微笑みが復活することを祈るばかりだ。

写真(上) アユタヤの「寝釈迦」も、水浸しになった
写真(下左) 風物詩「水上マーケット」は、衰微の道をたどっていたが、今度の洪水で絶滅する恐れもある。
写真(下右) 暁の寺からチャオプラヤー河を見下ろす。


三島由紀夫氏。 今月25日、三島さんの41回目の命日を迎える。

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