第137回 「不幸になってくれたら嬉しい」 9・11から3・11へ@
6月10日号
  先輩が手に入れたばかりのi−patに指を走らせて、「こんなのがあるよ」と見せてくれたブログ。読んで、衝撃を受けた。タイトルは『頑張れとか復興とかって、多分、いま言うことじゃない』。避難所の兄が弟に話した電話の記録である。長文なので要約してご紹介する。
「一瞬にして、心の準備もなく、いきなり11日から家も何もかも消えたわけ。CMとかで、頑張れってすげえいわれるんだけど、おまえ、帰るところなくて頑張れる? ちょっと気を許すと《いしょに頑張ろう! 一人じゃない》とか言うわけ。おまえら家あるじゃん。そのCM撮ったら家帰ってるじゃん。仕事もあるじゃん。俺、船無くなったんだぞって。多分、漁師はもうできないと思ってる。もう、な−−−ンもない。どうしたら、いま、頑張れるんだよ」
福島の漁村の兄弟が、兄は漁師の跡を継ぎ、弟は都会へ出てきたのだろう。兄は、家も船も一切をなくしたのだ。ブログは続く。
「毎晩うなされるし、夜いつまでも眠れない。流された人を何人も見た。顔見知りも流された。その映像を何回も思い出す。俺、一人で逃げてきたわけ。誰も助けなかった。おばあちゃんとか、何人も追い抜いて逃げた。重そうなもの持ってる人とかもいたのに。時間が戻せたら、隣のおばあちゃんちに寄ってあげたかったとか。もう、100万回くらい、100万とうりくらい後悔してる」
考え、悩む、これが避難所の夜なのだと、痛切な思いがする。
 兄は、4日目に津波のあとへ行く。
「どこから手をつけていいかわからないどころか、一層もう何もしたくなくなるような元の場所を見て、ここを復興だなんてみじんも思えない。いまも。見たくない。ふたをしたい。自分の人生はもう終わったなって思うよ。家だってもう2度と持てる気がしない。何も希望なんかないよ。そんな俺たちがさ、避難所でCMでアイドルや俳優を見てさ、《いっしょだよ、一人じゃない》とか言われるたびに、ああ、あの世界は自分たちとはもう全然違ってしまったんだと思う。家がある人の言葉だなーと、安定してるなーと。そんなCMとかして充実してんだろうなーと。ボランテイアや取材のやつらもきて、いろいろ写真なんかも撮って、《実際見ると、テレビなんかと違いますね》とか言って、自分たちの家に帰っていく。正直、復興なんてクソくらえだと思うよ」。
弟は、何を言っていいかわからなくなる。泣きながら、「何か、出来ることある? 」と聞く。兄は、
「正直、不幸になってくれたら嬉しい」と答える。
「俺たちを幸せになんてふざけたこと思わないで、俺たちの分、そっちもみんな不幸になってくれたらなー。東京も全部流されて、それでも《頑張ろう》と言われたら、頑張るよ。その人の歌なら聴く」。
このブログには書き込みがあって、「甘えてんなよ」とか「それを言ったら全部終わり」、「鬱病じゃないのか」という非難と共に、「被災者の偽らざる本音」、「とても良くわかる」と理解を示すものも多い。試みに知り合いにきいてみたが、若い人も含めて全員が、「良くわからないが、わかる」だった。もちろん短期間のボランティアの気持ちはあるが全財産を投げ出す事など、誰にもできはしない。にもかかわらず、こんな理不尽なことが理解できる不思議さは、実は筆者も同じだった。あなたはどうでしょうか?
 ただ一つ確かにいえることは、欧米特にアメリカ人には100%理解できないだろうということだ。(次号へ)

写真 「一瞬にして、家も何もかも消えた。俺、船無くなったんだぞ。多分、漁師はもうできないと思ってる。もう、な−−−ンもない。どうしたら、いま、頑張れるんだよ」(ブログより)

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