第134回 被災地へおくる フレンドシップ・キルト
4月10日号
   3月11日の午後、余震で揺れる自宅で、キルト作家の嶺井寿美子さんは、終日、テレビ画面に釘付けになっていた。八戸のキルターで親しい友人が、ケイタイでもメールでも連絡がつかず、テレビから八戸の情報が何か得られるかも知れない、との思いからだった。が、画面は大津波のあとの悲惨な情景を映し続けるばかりで、被害の大きささえ捉えていなかった。
 嶺井さんはゆっくりと立ち上がった。自分でも意識しないうちに電話を握って、仲間のキルターに連絡のつく限り、応答のない時はメールを送った。
「災害地へ、キルトを作って送りましょう!」
 つづけて、布地屋さんに掛け合って、端切れを大量に出してもらう交渉を始めた。同時に、制作する場所の確保。仲間のアトリエや関係会社にお願いした。ミシンのブラザーは、喜んで会議室を提供する、と伝えてきた。最新のミシンをそろえて、人もつけるという。
 集荷や、災害地への送付も手配しなければならない。急遽、「東日本大震災・支援キルト実行委員会」を立ち上げた。ホームページもアップした。
「端切れをつないで縫うキルトは、世界中で作られてきたんです」と、嶺井さんはいう。
 アメリカでは最初に植民した清教徒たちが、厳しい冬を乗り越えるために、古着の端切れをハギ合わせて寒さをしのいだ。独立戦争の時は、戦争に行く男たちに、母や妻や恋人たちは、手縫いのキルトを持たせた。男たちは、戦場ではキルトにくるまって眠り、戦死したときは、キルトに覆われて帰ってきた。
「日本には、ハギの伝統があります。子供が丈夫に育つようにとの思いから、健康に育ったお子さんの古着の端切れをもらい、ハギ合わせて着物を作る地方もあります。檀家から集めた端切れで袈裟を作るお坊さんもいます」。
「スクエアを持ち寄って、一枚の大きなキルトに縫うフレンドシップ・キルトの伝統はキルターなら誰でも知っています。いまキルトをおくることは、キルターたちにとっては当たり前のこと。私たち一人一人は小さな端切れにすぎないけれど、ハギ合わせれば、暖を取るという実用面だけでない、大きな心のつなぎが伝わると思うのです。」
 キルトの経験がなくても、ミシンが使えなくても、布地を切ったりアイロンをかけたり、出来ることは山のようにあります、という嶺井さんたちの呼びかけで、瞬く間にたくさんの参加者が集まった。
 日本だけではない、ホームページを見た世界中のキルターから参加の申し込みがあとを絶たない勢いで続いている。世界中からの贈り物を、トラック協会のトラックが運ぶ、と思うと、こちらの思いまで温かくなる。
 嬉しい知らせが入った。八戸の友人からの無事の知らせだ。しかも彼女は、キルト支援にぜひ参加したいと言って来た。自分の家も倒壊こそ免れたが、被害がなかったわけでもない。停電と、水、食料の不足のことなどそっちのけである。

☆東日本大震災・支援キルト実行委員会 嶺井寿美子 藤井彩代子 岡本さつき 大田敦子 ソーイングセンターJOY立川、(株)ブラザー販売、モダJapan、イノビス会、クロバー、サンセールなど。
 http://shienquilt.tongtongquit.com/ ブログ:きまぐれスミトン

写真 支援キルトを作る人たち 右端が嶺井寿美子さん
(京橋 ブラザー販売本社9階会議室にて)

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