第132回 ジャスミン革命を見届けよう
3月10日号
   2011年が明けて、真っ先に飛び込んできたのは、チュニジアの民衆デモのニュースだった。まもなくジャスミン革命という優しい名前で呼ばれるようになるこの騒動は、遠いアフリカの地の出来事にすぎないように思われたが、エジプト、バーレーンと飛び火して、ついにリビアが炎上するころには、日本のわれわれにも深刻な影響が出てきた。日ごとに高くなるガソリン、間もなく4月には18%値上げと予告される小麦粉などである。しかし、こんな身近な問題だけでなく、アフリカ・中東全体にわき起こるジャスミン革命こそ、もしかしたら、第2次世界大戦や、冷戦の終結、ベルリンの壁の崩壊を超えるような、世界の秩序をすっかり変えてしまう歴史的な出来事となるのかも知れない。
 路上で野菜を売っていた青年が摘発され、抗議のために焼身自殺をした事件がきっかけとなったといわれているが、その背景には失業率30%という過酷な経済格差があった。
 チュニジアは、一人あたりのGDPでは、石油の出るリビアは別として、アフリカ諸国の中では最も高い。(因みに世界ランキング91位、エジプト114位、リビア54位、日本は8位である。)
 比較的恵まれているはずのチュニジアが、ジャスミン革命の発火点になったのはなぜだろうか。
 1月14日、119人の犠牲者を尻目に国外へ逃れたベン=アリー大統領一族は、夫人が1,5トンの金塊を引き出そうとしたと伝えられている。365人の死者を出したエジプトのムバラク大統領は国家予算と同等の5兆円。リビアのカダフィ大佐に至っては、海外資産は政府系ファンドを含めれば10兆円を超えるという。長期政権の独裁者の頭はいつの間にか狂ってくるものらしい、としか言いようがない。
 カダフィ大佐は外国籍の私兵を雇っていて、自国民を攻撃、殺害していると報道されている。かつて1960年安保闘争の時、岸総理はデモ鎮圧に自衛隊(当時は警察予備隊)の出動を要請したが、「自国民に発砲することだけは止めた方が良い」と言われて断念したという逸話が伝わっているが、日本も危ないところだった。
 狂っているといえば、カダフィの豊富な武器は、イギリスが50億ドルで売ったものだという。リビアはもともと石油を巡ってイギリス、アメリカ、フランスなどが利権争いを繰り広げている地域なのだ。手のひら返しの八百長だってまかり通るわけである。
 そして、相変わらず狂ったままなのは、革命騒動をいいチャンスとばかり、先物買いに走って石油などの価格をつり上げる金融資本主義の醜さだ。リーマン・ショックの反省もなく、性懲りもなく、食料の高騰で確実に何万人もの餓死者が増えるというのに、金儲けのマネーゲームに余念がない。
 チュニジアは、観光と農業の美しい国で、アフリカ・中東のイスラム国の中でも最も穏健なソフト・イスラムの国だと言われている。国花のジャスミンの名を冠した革命の行く末が気になる。
 次回は、カルタゴを中心に、チュニジアの歴史を歩いてみようと思います。

写真 チュニジアの首都・チュニスのメジナ(旧市街)のフランス門の前で。演劇研究所に通う女優さん。

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