第130回 菜の花忌に 司馬遼太郎「アメリカ素描」を読む
2月10日号
   2月12日は菜の花忌である。司馬遼太郎さんが亡くなって3年目になる。今年も東大阪の司馬記念館には、大勢のファンが訪れることだろう。
「龍馬が行く」2400万部、「坂の上の雲」1900万部。(2010年1月読売新聞調べ)この数字を見るだけで司馬さんと言う作家が日本国民にいかに愛されているかがわかる。文学的にはどのような評価があるか知らないが、司馬さんの感性が日本人の心にフィットして読む人の感性と共振現象を起こさなければ、これほど読まれることはないはずだ。 時代小説の知的講談を聞くような面白さもいいが、むしろ司馬さんの真骨頂は、「街道を行く」などの紀行ものにあるのではないだろうか。司馬さんの頭の中には古今東西考えられる限り、あらゆる情報と資料が詰まっていて、それを惜しげもなく総動員して、決して理論でなく、作家の直感で語っていく。
「アメリカ素描」を本棚の奥から取り出して読みかえす気になったのは、実は、胡錦涛主席が、アメリカ訪問を前にインタビユーに応じて、「08年の金融危機はドルを基軸としてきた現在の国際通貨システムの欠陥に根ざしており、現行のシステムは過去の遺物、と切り捨てた。」という6段抜きの新聞記事を目にしたからだった。つまりパックス・アメリカ−ナ(アメリカによる統治)が終わったというのだ。フランスのサルコジ大統領も同じことを言ったらしい。
 どこかで、ずいぶん前にこのようなことを読んだことがあるなあ、と思い出したのが、「アメリカ素描」だった。
 1985年、司馬さんは読売新聞の依頼でアメリカを訪れた。前半カリフォルニア、後半ニューヨークなど東海岸、合わせて40日ほどの旅だった。
 カリフォルニアに着いて、司馬さんは「怒りの葡萄」のジョン・スタインベックについて語る。「かれの作品は、1930年前後の、自分の利益のためには弱者が死のうと生きようと勝手だという資本主義のエゴイズムと非人間性を書いた」。
 アメリカという国は、最初にやってきたWASP(白人、アングロ・サクソン、プロテスタント)を頂点に、あとから来たものを次々安い労働力として扱ってきた。アイルランド系よりもイタリア系が安く、日本人はさらに安く、朝鮮系はもっと安い。そして新規参入民族を、労働市場を奪うものとして、順番に差別し、迫害してきた。
(余談だが、この「労働力という"商品"」の項を読んだあとで、チンパンジーが2足歩行を始めたというTV ニュースを見て、ぞっとした。日本の企業も中国、東南アジアと安い 労働力を求めて海外に生産を移してきたが、これ以上に安い労働商品として、チンパンジーの教育を始めたのか、という妄想である。)
 後半、司馬さんはニューヨークの「ウオール街」を歩く。「あたりまえのことをいうようだが、世界の通貨はドルを基準にして価値が決められている。(中略)アメリカとはなにかということをひとことでいうなら、このことに尽きるのではないか」。
 アメリカでは証券市場で投資的な参加者は、10%で、あとの90%は投機家だと知り、「資本主義の正道は投資であり、投機はバクチではあるまいか。(アメリカは大丈夫だろうか)と不安をもった。(中略)資本主義というのものは、モノを作ってそれをカネにするための制度であるのに、(中略)カネという数理化されたものだけで、それだけでもうけてゆくことになると、どうなるのだろう。亡びるのではないか、という不安がつきまとった。」と書く。いまから25年前の司馬さんの予感である。
 司馬さんは、ニューヨークを離れる前に世界貿易センター107階のレストランで夕陽を見ながら食事をする。そのアメリカ資本主義のシンボルが崩壊して、今年は10周年を迎える。

写真 エリス島から見るマンハッタン。南端にあるはずのひときわ高い2棟のビル、アメリカ資本主義のシンボル、世界貿易センタービルがなくなってもう10年になる。

オリンパスE−1 ズイコーデジタル 50−200ミリ
close
mail ishiguro kenji