第129回 江と柴田勝家神社
1月25日号
   朝、JR品川駅の東海道新幹線の改札口へ行くと、雪のため10分程度遅れる見込み、と案内が出ていた。困った。米原駅で北陸線・特急しらさぎへの乗り継ぎ時間は10分しかない。
 昨夜は、報道では、日本海側はどこも吹雪だった。検札に来た車掌さんは、「雪は米原から先だから大丈夫です。万一遅れても少しなら待っていてくれますから」。やれやれだ。
 午後一時、福井駅に着く。駅頭はきらきらした光にあふれ、空気が甘い。ひりひりする東京の寒さとくらべ、寒さが柔らかい。雪がまぶしいが目が痛いほどではない。太陽も優しいのだ。駅前の観光案内所には「江」ののぼりが華やかだ。
 駅ビルへ引き返して、「おろしそば」を食べる。実は、品川から4時間余り、飲み物も弁当も買わずに我慢していたのだ。そばも良く、大根おろしの辛みが絶妙だ。
 腹ごしらえを終わって外へ出ると、いつの間にか太陽は隠れて灰色の空に粉雪が舞っていた。やはり北陸の冬は手ごわい。
 実は福井市での明日からの写真展の飾り付けに来たのである。ギャラリー「E&C」は、国立福井大学美術部が中心となって運営するNPO 法人だそうで、代表の宮崎光二さんは、画家で大学の教授 である。学生スタッフを指揮して60数枚の写真を並べてくれた。
 いま、アートは地方が熱い。(新潟の「越後妻有トリエンナーレ」は不便な場所であるにもかかわらず、30万人を動員した。)「E&C」は、エッジとセンターのことだそうだ。小さなギャラリーだが、ポスターもリーフレットもハガキも作ってくれた。学生たちのデザインは東京でもとても好評だ。
 翌日は、午后からトークショー、そのあとオープニングパーティである。東京から深夜バスで若い友人が来てくれた。富山からも。大阪からは旧友が日帰りで来てくれた。その夜は深夜まで痛飲した。
 翌朝、フロントで江と柴田勝家の北の庄城跡はどのあたりかと聞くと、すぐそこ、徒歩3分だという。なんとギャラリーへ行く途中ではないか。商店街の路地の入り口に鳥居があり、路地の奥に、右が柴田神社と三姉妹神社、左が北の庄城跡地公園になっている。ヨーロッパの町にあるような広場で、もちろん一面の雪だ。柴田勝家の銅像の下に江、初、茶々、少し離れて市の立像が雪の降る中を、寒さにこごえているようだ。柴田勝家は大河ドラマでは大地康雄夫さんが演じているが、銅像にそっくりである。この像をモデルに扮装し、役作りをしたのだろうか。
 柴田勝家はどう猛な武将ということになっている。信長は、福井では朝倉家を滅ぼし、妹の市の夫で3姉妹の父、浅井長政を自害させた。その後も一向一揆など大虐殺を繰り返すが、その先頭に立ったのが勝家だという。秀吉の時代になると、勝家は市と結婚し、3姉妹と共に北の庄城に住む。が、賤ヶ岳の戦いで敗れて、3姉妹を秀吉の元へ送り、市を道連れに切腹する。ここに住んだのはわずか半年余りだった。
 福井という土地は、歴史の節目に顔を出す。米どころで、豊かな土地だったのか、北部では丹生という地名が示すように、鉄が産出したのか。6世紀には継体天皇が、幕末には松平春嶽がこの地を統治した。現代では、貯蓄率全国第1位、女性の社会進出も1位。学童の学力テストも第1位だ。福井は不思議なところである。


写真(上) 雪の中に立つ茶々・初・江の3姉妹。右後ろに養父柴田勝家。左に市の立像もある。
写真(中) ヨーロッパの町の広場のような北の庄城跡公園。処刑場のような雰囲気もある。
写真(下左) 柴田神社は商店街の路地の奥にある。   (下右) E&Cギャラリーの写真展のポスター

オリンパスE-5 ズイコーデジタル 12-60ミリ
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