第126回 南京グラフィティ 1
12月10日号
  南京市の南、旧南京城外に3角の大きな黒い建築物があります。正面にはケ小平が書いた「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館」の文字。いわゆる虐殺記念館です。入ってすぐに中国語・日本語・英語で「遭難者300000」の表示。30万か3万かでもめている問題の数字です。
 1982年に日本の教科書問題が発生したとき、当時の生き証人が日本軍の行動を訴え出て、それをきっかけに記念館が出来たそうです。そして70周年の2007年にはそれまでの敷地の9倍の20万平方メートルの地に新館が建てられました。
 館内は、日本軍の虐殺がいかに残酷で破廉恥に行われていたか、日本人としてはイヤになるほど克明に、これでもかと展示されています。揚子江岸での集団虐殺。自分が切り落とした首を手に持った記念写真。中国人捕虜を穴の前に座らせて、日本刀で首をはねている写真には「殺楽」のタイトル。日本語で「中国人を楽しみのために殺す」と説明が付いています。この写真は中国の教科書にも載っています。
「殺競」というタイトルの向井・野田両少尉の誇らしげな写真が、「百人斬り超記録−向井106人・・・」の見出しを掲げた日本の新聞の紙面だったことを知ると、当時、日本中が狂っていたとしか思えません。
 南京市の中央、東京なら丸の内のビル群の真ん中に、廃墟の1隅があります。もう1つの日本の恥、「旧日本軍慰安所跡」です。官・財界は土地有効利用を企てましたが、保存を求める声が大きく、当局も今年になって保存を決めたと聞きました。
 2010年は、尖閣諸島など中国との様々な問題を抱えたまま終わろうとしています。中国の強硬な態度やデモを見ていると、教科書や記念館や跡地で十分に教育された民衆が、日本人をどう思っているか、空恐ろしくなります。
 12月13日は南京陥落73年目に当たります。堅固な南京城を攻めた日本軍は、兵坦は現地調達主義でしたから、略奪、強姦などは当然あったと思われます。虐殺もあったでしょう。補償の駆け引きはあるにせよ、3万か30万かは問題ではありません。
 記念館の壁には周恩来の「前事不忘、后事之師」の文字が刻まれています。「過去を忘れず、後の教えとする」の意でしょうか。であれば、この記念館も慰安所跡保存も確かに必要です。そして中国は、同時に、北京に「天安門虐殺記念館」を、チベット自治区にも記念館を作るべきです。ノーベル賞の劉暁波さんを解放してオスロ行きの特別機を用意すべきです。
 ・・・・もし実現したら、その時こそ戦争がなくなるときだと思います。
 次号ではたのしい南京観光をごいっしょに!


写真(上) 侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館。2007年に拡大された
写真(中) 記念館の展示。同じものが教科書に載っている
写真(下左) 南京中央、ビジネス街のど真ん中にある日本軍慰安所
写真(下右) 将校用の部屋の内部

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