第123回 芸の大道を行く 大道芸人・だいちの真実
10月25日号
   大道芸人だいちをまだ1度も見ていない方のために、彼のパフォーマンスを説明しなければなりません。彼の芸は変幻自在で、説明はとても難しいのですが・・・。
 だいちは街角にふらりと現れ、あるときは簡単なトランプ手品をしたり、あるときは子供相手に他愛ないいたずらをしたりして、行きずりの人の足を止める。腰をおろし、ペットボトルのコーヒーを飲む、と見るや、いきなり頭からコーヒーをかぶるときもある。観客の中にびりびりした緊張が走るが、同時に強い興味=わくわく感も出てくる。・・・登場してたった2分ほどで、その場の空気を変え、観客の日常を変えてしまう。
 はやりの中国コマやトランクを操ったりのサービスで、観客の顔がゆるんできたころ、風船のパフォーマンスが始まる。マスクをつけ、赤くて重い風船を抱えた、おかしく悲しいパントマイムだ。
 第2幕は(もちろん幕なんかないが)、観客の中から瞬時に選んだ人を路上の舞台へ誘って、共演する。おとなだったり子供だったり、女性だったりだが、細長の風船で作った刀を使っての決闘が演目だ。客の熱演好演に爆笑のうず。すっかりだいちのペースにはまってしまう。そしてラストは再びマスクをつけ、哀愁がしみるような音楽に乗ったパントマイム。強靱なバネのような、舞うような動きの中から、しなやかな情感が流れ、路上に満ちていく。
 感動とともに、だいちの帽子に客たちが集まってくる。
 沖縄生まれの知念大地は、20歳の時、東京でパフォーマーTOYを見て、大道芸をやろうと決め、2万円を持って上京。ヤフーBBのモデムの店頭販売のアルバイトなどをしながら、独学でパントマイムの訓練を重ねる。2万円しか貯金がないとき、3万円の皮の鞄を買った。プロの道具は本物じゃないといけないからだ。が、実際に路上に出る勇気がなかった。このままでは俺は一生哀れなままだと思い、いよいよ明日、と決めた夜はただ怖かった。
 最初のパフォーマンスは、帽子の中には100円しか入らなかった。ひどく落胆した。もう一度だけ試そうとやってみたが800円だった。完全に諦めたときに、友人に逢い、日ごろ大道芸人になるんだと広言していたので、仕方なく3度目をやった。帽子の中に初めて1枚の1000円札を見た。しかし、その後も生きるのに必要な金は入らなかった。雨に降られ、警官に追われ、鞄を蹴飛ばされた。5時間800円の漫画喫茶や友人のアパートを転々としていたころ、相模大野で声をかけてくれた人が、家賃4万敷金なしでいいよ、といってくれて、ほんとうに助かった。
 あるとき、友だちと2人で「プランB」に出ていたとき、前後して田中泯という人が出ていて、どんな人かと、こっそり見た。ただいるだけでぴりぴりした空気が流れていた。動くたびにわくわくさせた。その夜だいちは上京してから6年、初めて熟睡した、という。こういう舞踊家もいるのだという安心からじゃないですか、と。
 TVから誘いは? ときくと、ぼくは芸能人じゃないからと答えた。
 だいちはいま、場所と客があらかじめ決まっているイベントなどの出演をエージェントにゆだねているが、普通の日の純粋な大道芸は事務所にも言わず、ホームページにも載せない。ある日あるところで行く人をとらえ、笑わせ、感動させ、最後に投げ銭を受けて完成する、大道芸だけのカタルシス・・・それは、華やかな大舞台での拍手と喝采よりもおいしい麻薬なのかも知れない。


写真(上) だいちの舞うようなパントマイム ( 昨年の三茶de大道芸で)
写真(下) 道路脇で準備をするだいち。大道具小道具をぎっしり詰めた黒いトランクは、同時に重要な小道具でもある(今年10月、新宿で)

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