第121回 新そばの季節に−おらが蕎麦屋 一茶庵本店のこだわり
9月25日号
  午前10時前、店の前に立つと、ごうごうゴトゴトと大きな音と響き。まるで鉄工所? しかし店構えは手入れの行き届いた田舎家風のまぎれもないおそば屋さんである。
 玄関脇の飾り窓の中で、大きな石臼が、今日の分の蕎麦粉を挽いていたのだった。この飾り窓は店頭の樹木の生長で、外からは見えなくなってしまったものらしい。
 出迎えてくれた店長の湯沢広幸さんは、「ちょっと」と言って奥へ引っ込んでしまった。あとでわかったのは、店長は今日のだしのかつお節削りの最中だったらしいことだ。
 開店前のお店がどこも忙しいのは決まっている。約束の時間とはいえ、とんだお邪魔をしている、と気になった。
 実は、昨日、遅い昼の食事の客として「五色盛りそば」をいただいた。舟に盛ったそばがさわやかな姿をしていることに目を見張った。大理石のような艶があって1ミリ角のそばのエッジが立っている。
 まずせいろからいただく。2度目の驚きはそばの腰の強さである。そば好きを自称する筆者も初めてだ。噛めばしこしことそばの香りと味が口の中で砕ける。歯の喜びというところか。
 舌の喜びはつゆだ。甘くなく、うすくないのがありがたい。
 そばを極めるとこうなるのか、と思ったものだ。
 というわけで、店長に率直に聞いてみた。どうしてこんなにこしが強いんですか? また、素人が茹でると、柔らか過ぎるか、芯が残るかですが、どうすればこんなアルデンテに茹でることができるんですか? 店長はまじめな顔で答えてくれた。
「一茶庵の特長は、素材を最大限に生かすということです。大きなそば釜の大量の湯で少しずつ茹でています」つゆは? 「鰹の本節だけを使っています。カビを取り、薄く削ってさっとあげます。和食のだしに近いかもしれません」
 湯沢さんは、一茶庵の創設者片倉康雄さんの三男英晴さんのそば教室へ通っていたが、卒業後、九段下に出来た現在の店に入った。そして約10年、2代目の店長となった。
「そば打ちの神さま」といわれた片倉康雄さんは、老舗の大手のそば屋さんが、ある時期、機械打ちに走ったことを嘆いて手打ちの復活を主張し、わずか1週間の見習いで新宿に店を出したと言われる反逆のそば打ちだ。その原点は、母が作ってくれた「毛のように細いそば」の味を自分の手で実現させることだったという。
 気がつけば、石臼の轟音はとっくに消えていた。これから今日のそば打ちが始まり、開店の準備は大詰めを迎えるのだろう。


写真(上) 店長の湯沢広幸さん 本店店頭で
写真(下) 人気の「5色盛りそば」左から せいろ 青ゆず 田舎 けし切り 卵黄(写真は黒ごま)右下に「そば味噌」

■九段一茶庵本店 千代田区神田神保町3−6−6 九段アビタシオン1階 tel:03-3239-0889
■5色盛りそば 1.800円、一茶庵せいろ900円、おろしそば1,100円、合鴨の陶板焼き1.800円、そば味噌500円、日本酒オリジナル4合4.500円、立山800円他

オリンパスE−3  ズイコーデジタル 14−54ミリ
close
mail ishiguro kenji