第120回 100歳の過激でナイーブな感性
 「ブロンド少女は過激に美しく」オリヴェィラ監督

9月10日号
   この夏の話題といえば、100歳以上の行方不明者があとを絶たないという猛暑にふさわしいミステリーだった。この世は妖怪がいっぱい。水木しげるさんもびっくりだろう。が、実は1年間の行方不明者は、警察への捜索願い届けだけでも10万を超して、その大半が若い人だと聞くと、年齢は関係ないことが分かる。むしろ、国民背番号制をいい出す絶好のチャンスと虎視眈々の霞ヶ関の妖怪の方が恐ろしい。
 年齢に無関係の話をしよう。ポルトガル映画の巨匠マノエル・デ・オリヴェィラ監督は1908年生まれ、「ブロンド少女は過激に美しく」の撮影中に100歳の誕生日を迎えた。映画はタイトルの通り、青年が美しいブロンドの少女に恋をする話だが、驚くのは監督の感性のナイーブで美しいこと。100歳とはとても思えない、というより100歳だからこそこれほどストレートで一途なのか。
 過激で美しい、というのは、たとえばこの映画には音楽が使われていないこと。アメリカ映画の影響か日本でも音楽ベタ付けが多いのだが、劇中で演奏されるハープの音はもちろん、リアルな街の音や教会の鐘の音が新鮮でいきいきと響いてくることに気づかされる。
 そして同時上映の短編が、おまけというにはもったいない。ジャン=リュック・ゴダール監督が、あの歴史的な「勝手にしやがれ」の2年前、1958年に自分のアパートで撮った14分の映画である。しかもジャン=ポール・ベルモンドが出ずっぱりでしゃべりまくる。しかも、しかも、(2度書きます)制作中にベルモンドが兵役に取られたためゴダールが声を吹き替えているという、ファンなら垂涎だらだらの作品だ。
 さらにもう1度しかもといいたいのだが、この作品の字幕を担当したのが、柴田駿さん、フランス映画社の社長である。「勝手にしやがれ」の字幕も柴田さんだった。
 フランス映画社は1968年に創立、76年から主としてヨーロッパ映画の配給を始めた。ジャン=ピエール・メルヴィル「恐るべき子供たち」、テオ・アンゲロプロス「旅芸人の記録」、ヴィム・ヴェンダース「ベルリン・天使の詩」、ジム・ジャームッシュ「ストレンジャー・ザン・パラダイス」、・・・・
 思えば映画少年のころから、僕たちはフランス映画社の〈BOWシリーズ〉を見て育ったわけである。柴田さんがいなかったら、決して興行的に有利とは思えない名作の数々を見ることが出来なかったかも知れない。柴田さんについては、もう1度書いておかなければ、と思っている。


写真(上) 「ブロンド少女は過激に美しく」と名作映画の数々のポスター(築地のフランス映画社にて)
写真(下左) マノエル・デ・オリヴェイラ監督
写真(下右) ゴダール監督の短編「シャルロットとジュール」(いずれもフランス映画社提供)

■「ブロンド少女は過激に美しく」と「シャルロットとジュール」は10月9日より日比谷 TOHOシネマズ シャンテ にて

オリンパスE−P1P1 ズイコーデジタル 14−42ミリ
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