第118回 核廃絶を祈る 長崎 65年目の夏
8月10日号
  1945年8月9日午前10時2分、長崎・浦上天主堂上空500メートルで原子爆弾が炸裂。直後の死者約7万4千人、負傷者約7万1千人。当時の長崎市の人口は約24万だったから、死傷者は半数を超えたことになる。(2010年の長崎原爆死没者名簿への登録者は15万2776人である)
 それから65年。一冊の写真集が出版された。松村明『ありふれた長崎−あの日から65年』である。題名の通り長崎の街の何でもない情景がたんたんと写し込まれている。しかし、ページをめくっていくとありふれた映像が妙に神経に引っかってくることに気づく。この、街角で黙祷をしている男性はなに? 焼けただれたコンクリートの固まりは何? この血染めの白衣は? 何かを祈っている女性は何を祈っているの? ・・・これはもう〈ありふれた〉どころか、〈ただならぬ長崎〉ではないか。
 松村さんの作品は、写真集『神田・路地を抜けると』(蒼穹社)など、下町の風物を親しみを込めて、しかしクールに描いたものが多かった。が、今度の写真集は今までにない強いメッセージが込められている。
 ちょうど上京中の松村さんに連絡がついて、お話を聞くことができた。 「妻の実家が長崎で、たびたび訪れているうち、原爆の傷跡が年ごとに風化していくことに危機感を持ったというか、このまま忘れてしまってはいけない、と撮り始めたのです」
 松村さんは、1946年京都生まれ。日大芸術学部写真科を卒業、毎日新聞写真部を経て「カメラ毎日」編集部へ。現在は九州造形短期大学教授である。
 九州に住まいを移してからは、長崎に通うことも多くなった。「時が移り、目に見えるものの風化はさけられませんが、うちなる傷跡は決して消えるものでないのです」
 この写真集が、見るものに、ありふれた日常の中に潜む危機感を突きつけるのはそういうことだったのだ。
 原爆投下65年目の今年、アメリカ政府はルース駐日大使を初めて広島へ送る。すでに藩国連事務局長は長崎を訪問、6日には広島の式典に参列するという。この秋訪日するオバマ大統領の露払いだろうか。核廃絶宣言が本気なら、何よりもオバマ自身が爆心地を訪れて、アメリカを代表して謝罪することから始めるのが実現への正しい方法だと思う。
 原爆以外にもクライスター爆弾など、大量殺戮兵器を平気で作り、使い続ける。「戦争が狂気を作っていくんです」
 クラスター爆弾の禁止条約に、アメリカ、ロシア、中国はまだ署名していない。


写真(上) 松村明さん、新宿にて。
写真(下:左頁) 吉田勝二さん。井戸のつるべを落とそうとした時、衝撃が走り気づいたら400メートル以上飛ばされ田んぼに居た。特に右耳の火傷は形状をとどめないほどであったという。被爆当時13歳。今年4月に胃がんで亡くなられた。
(同:右頁) 被爆を生き抜いたダイサンボク。(いずれも本書キャプションより。)

■『ありふれた長崎ーあの日から65年』(窓社刊 3,200円+税)

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