第117回篝火が消えたあと
7月25日号
   8月の刺すような太陽、田んぼの夏草のむせる匂い。暑い一日が終わるころ、寄席太鼓が本町通りに響きわたると、子供たちが通りへ出て踊り始める。
 大人たちが出てくるのはもう少し夜の暗さが増して、かがり火が輝きはじめてからだ。
〈時勢はどうでも世間は何でも 踊りこ踊りゃんせ アーソレソレ 日本開闢 天の岩戸も踊りで夜が明けた キタカサッサ ドッコイナ〉
 お囃子の音頭が調子を上げてくるにつれ、次第に踊りの列が長くなる。
 彦三頭巾をかぶった藍染の浴衣の踊り手。異様な姿で、亡者踊りともいわれるが、黒い頭巾の小さな穴からはきらきらと良く光る目がかがり火を映して、なまめかしい。
 端縫いの衣装をまとった踊り手が登場するのは、会場がもっと賑わってきてからだ。踊りの上手な彼女たちが参加して陶酔した踊りを展開し、お囃子も熱が入り、盆踊りは最高の盛り上がりに達する。
 西馬音内独特のそりのある編み笠で顔を隠し、端縫いの襟を抜いて白い襟首をみせる。振り上げた袖口からすんなりとした二の腕、しなやかな手。息をのむあでやかさ、想像力を激しく刺激する艶っぽさだ。良く考え抜かれた、妖やかしの術のように思える。
 端縫いは、祖母が着た古い着物の歯切れをはぎ合わせたものを、母から娘へと受け継いできたものという。キルトやパッチワーク、つまり貧しさから始まったものかと思われたが、西馬音内のはぎ衣装は違うようだ。
 端縫いは襦袢ではないというが、一見、赤を多く使った肌着の襦袢のようにも見える。踊りつくしたあとの端縫いは、汗でぐっしょり絞るほどだと聞く。要するに、コケティッシュでエロチックなのだ。
「若いころは踊りの浴衣で、どこの誰か分かったものだ」と年寄りたちは言う。お目当ての衣装を追って、かがり火が消される夜半過ぎに、連れだって闇に消えていくのは、いまの若者も同じだろう。司馬遼太郎「燃えよ剣」には、土方歳三が府中の暗闇祭りで暗躍するシーンがあるが、かがり火の消えたあとの男と女のことは誰も知らないのである。
 お囃子の地口や甚句をきいて土地の人はクスクス笑っている。残念ながら秋田弁の分からない者はきょとんとするばかりだが、相当きわどい文句になっているらしい。楽天的でユーモアがあり、決していやらしいものではないという。
 お盆恋しや 篝火恋し
 まして踊り子 なお恋し
 他所に嫁いだ女たちも、血が騒ぐのだろう、東京から、アメリカから、年に一度の盆踊りを踊るために帰ってくる。盆踊りとしては格段に難しい踊りだというが。



写真(上) 三夜続けたお囃子が最後の音頭に移ると、立ち去りかねた踊り手も観客も、いっせいに「アンコール!」 を繰り返す。行く夏を惜しむかのように。
写真(中)端縫いの衣装を着て、深い編み笠をかぶって踊る。
写真(下)藍染めの衣装で、彦三頭巾をすっぽりとかぶって踊る。亡者踊りとも言われる。

■ 西馬内盆踊り 秋田県雄勝郡羽後町西馬音内
8月16,17,18日 19時から23時(最終日は23時30分)

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