第106回 富士山は何県か? 国境(くにざかい)の謎を追う
1月25日号
   1987年夏、写真家の秋山忠右さんとコーディネーターの中原淳さんは、ベルリンの壁の東側にいた。雑誌「太陽」の取材で、作家の北方謙三さんもいっしょだった。東に入って3日目の夜、ブランデルブルグ門をふさぐ壁に大勢の若者が集まっていた。華やかな歌声が風に乗って聞こえて来る。壁の向こうの西側でデビット・ボーイの野外コンサートが開かれていたのだ。東側の若者にとってそれはまさに自由の歓声だったのだろう。
 間もなく彼らは警備隊に襲われる。「(警察犬のシェパードに追われながら)、それでも秋山はシャッターを押し続けた。(中原さん)」結局は若者といっしょに〈排除〉されてしまうのだが、この歌声こそが、ベルリンの壁の崩壊の前奏曲だった、と秋山さんは回想している。
 2年後の1989年、壁は歴史的な崩壊の時を迎えるが、それまでに壁を越えようとして殺された人は125人、逮捕された人は3000人といわれる。
 この取材は「太陽」で連載され、さらに「国境流浪」(北方謙三・秋山忠右共著 平凡社刊)となって上梓された。しかし、秋山さんには、あるときは人の生死を左右する「人間が作った境界線=国境とはなにか? 」が重いテーマとして残った。
 ベルリン取材から18年後、秋山さんは世界から日本へと視線を移し、2年以上をかけて空から海から「島国の民であるわれわれ日本人にとって〈国境、県境〉とは何かを探す旅」を始めた。「プレジデント」誌で「くにざかい」を連載。昨年3月にはキャノンサロンで写真展「くにざかい−目に見えない境界線−」を開いた。さらに取材を続け、こんどの「県境の秘密」の出版となった。
 本の中で、秋山さんと中原さんは、日本の県境の不思議を次々解き明かしていく。そこで日ごろの疑問その1、富士山の山頂は何県?
 富士山は登山口が山梨側と静岡側にあることは誰でも知っているが、山頂はどっちの所有か。読んでいくと、2合目あたりから県境の境界線が消えてしまって番外地になっていることがわかる。さらに8合目から上の土地の所有権を巡る謎が次第に明らかにされる。(最高裁まで行った裁判の結果、山頂は浅間神社の所有地となった)。
 その2。関東と関西の境界は?
 1本の幅50センチほどの溝に農家の主婦らしい女性が腰掛けて、なにやら話し合っている写真がある。右に岐阜県(美濃)、左に滋賀県(近江)の標識が立っている。小溝を挟んで2軒の旅籠があり、壁一つを隔てて寝物語が出来たという「寝物語の里」である。昨年12月25日号の「お雑煮の秘密」では、角餅と丸餅の分岐線は関ヶ原らしいということだったが、秋山さんの写真はその境界線を鮮やかに見せてくれた。
 栃木・茨城県境で真っ2つの鷲子山上神社。鳥居も本殿も真ん中で2分され、宮司も2人。元は1つの神社だったが、1871年の廃藩置県の結果こうなったいう。
 下世話な話。お賽銭はどうするの? 初詣などは両社で折半、普段は掃除代など管理費に充てるとか。
 昨年暮れに大阪高裁が1票の格差2倍は違憲と認めた。1県1名の方式について、都道府県は行政区画に過ぎないという原告側に対し、地域は無視できないとする国側が敗訴した。
 世界はいま、インターネットで一しゅんのうちに情報がひろがり、金もものも、価値観さえもボーダレスの時代だ。秋山さんに改めて〈くにざかい〉とは何か、たずねた。
「折しも道州制が盛んに論じられ、県や地方自治体の存在意義が問われている時期です。〈国境・県境〉とは、人が作った不可思議な境界線であることを改めて思います。」

写真上 県境に立つ秋山忠右さん。家電量販店の真ん中から向かって左が東京都町田市原町田。右は神奈川県相模原市上鶴間。
写真下 「県境の秘密」写真・秋山忠右 文・中原淳(PHP研究所刊)1900円(税別)
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