第105回 ミルクのご来臨を待ちながら
1月10日号
   明けましておめでとうございます。

 沖縄県八重山の西表島・祖納と干立、2つの村では、毎年旧暦8,9月の己亥(つちのとい)の日に、年変わりの儀礼行事、シチ(節祭)が3日間にわたって行われます。現在の暦では11月半ば頃です。旧年の収穫を感謝し、新年の五穀豊穣を願うものだとされています。新年に当たる2日目の正日(しょうにち)には、古式の舟を漕ぎ出し、海の彼方のニライカナイからの()を迎えます。干立では村の女たちが浜辺に並んで一斉に腕を上げ豊穣の世を手招きします。
 海を背景にくり広げられるシチの行事は、宇宙的な物語性に富んで幻想的です。ニライカナイに住む祖霊への奉納芸も含めて、眼にも新鮮で、力強く、都会の劇場に閉じ込められたミュージカルなどが、ひどくむなしく感じられてしまいます。
 浜辺のステージに入場する行列の中で、黄色の衣装に漫画っぽい面をつけた、ちょっと 変わりだねが、豊穣の神ミリクです。ミルクともミロクとも呼ばれていますが、数人のミリクファー(弥勒の子供たち)を従えていますから、弥勒のことだと思われます。
 なぜ八重山の儀礼行事に弥勒菩薩が、しかも姿を変えてお出ましになるのか、不思議です。すべての欲界色界を超越した兜卒天に住む弥勒菩薩が現れるのは、釈迦の入滅後五十六億七千万年後だという弥勒信仰のことを考えると、ふと思い当たることがあります。
 56億7千万年後とは、地球が滅亡する時期だそうです。ついに現世では格差の下の隅に追いやられてきた沖縄八重山の人たちの不幸を思うのは思い過ごしでしょうか。八重山では、労苦に耐えかねた若者が、海の彼方に豊かなもう一つのバイ・ドナン、バイ・イリオモテがあると信じてあてもなく舟を漕ぎ出して行ったといいます。沖縄の人こそ、誰よりも弥勒のご来臨を待ち望んでいると思います。
 映画「キャピタリズム」(資本主義)のマイケル・ムーア監督は、「アメリカでは富の99%をわずか1%の人が奪っている」とその強欲さを攻撃しています。100人の村でいえば、100個のリンゴを、1人が99個を食べ、残りの1個を99人が奪い合っているわけです。日本もアメリカの格差社会に近づいています。世界の貧困率で言えば、アメリカはメキシコ、トルコに次いで悪い方の3位。日本は4位です。
 1昨年から続く世界的な不況はアメリカ発ですが、オバマ大統領は金融の規制すら出来ない。この分だと同じことをまた繰り返すのでしょうか。アメリカが戦争を止められない理由は、戦争が無くなると軍需産業と兵隊派遣会社が潰れるからだと言われています。沖縄の基地問題も、元を正せばアメリカの資本主義の問題かも知れません。ほんとうに、日本の安全のために辺野古のV字型の滑走路は必要なのでしょうか。滑走路がなければ新商品のヘリを飛ばせないから、そして日本側は、滑走路でもなんでもいい、工事があればいいということか。珊瑚礁の海を突き刺すVの形の角ほど醜いものはありません。民主党の小沢幹事長は、辺野古を訪れて、海の美しさを語っていました。一方で、宮古島の下地島の飛行場のことも言及していました。1973年に建設され、1980年からは那覇からの便がありましたが、1994年に運休。その後、航空会社の飛行訓練に使われています。2001年には、米軍のヘリが給油のために降りたこともあり、現地では自衛隊が来ることを請願したこともあるそうです。
 しかし海の美しさは辺野古に負けてはいません。
 新しい年に、沖縄にも、東京にも、世界中に、この世を救う弥勒菩薩の来臨を願わずにはおれません。56億年なんて待てません。

写真(上) 西表島祖納のシチ(節祭)。ミルク神がお出ましになる。シチは国の重要無形民俗文化財に指定されている。
写真(中)(下)宮古島の下地島飛行場。3000メートルの滑走路は美しい海に向かって伸びている
オリンパスE−3 ズイコーデジタル 12-62ミリ

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